【名前が決まった】
名前が決まるまで、とても時間がかかった。

結局、200/1/3/7に生まれて、決まったのは3/22届け出期限の最終日だった。


齋藤 柾仁(さいとう まさひと)である。

『柾』は僕の名前(真也=まさや)の音をとって、漢字は植物の物からとった。

柾目と言う単語からも分かるように、まっすぐで筋が通っているヒトになってもらいたいと言う願いが込められている。
樹木の持つしなやかさと、生命力、太陽に向かって真直ぐにのびる姿をこの子の将来に見つける事ができればば幸いだ。


『仁』は僕のとても大好きな 『高木仁三郎』先生から頂いた。
先生は若い頃原子力を学び、企業に就職するがその技術に疑問を感じて会社を辞め、いくつもの困難を超えて、脱原発を生涯にわたり貫いた方だ。

果たして、先生の活動が正しい物だったかどうかは分からない(それは時代が判断する事)しかし、少なくとも今の僕にはとても素晴らしい人に見える。
勉強して、学んで、その知識を何に使うかという質問に対して、高木先生はとても素晴らしい答えを示してくれた。
多くの学者が、企業や国の喜ぶ答えや説明を書いてその糧を得る道を選ぶ中、自分の良心と信念を持って生きる道を先生は選んだのだ。
とても困難で、辛く険しい道だったと思う。先生は世界を変えられると信じて、学び、実行したのだ。
学ぶ事は何も学校だけでしか出来ない事ではないし、学校を卒業したら終わる物でもない。
そして、学んだ知識を自分だけの為ではなく人の為、世の中の為に使ってほしい。

『仁』と言う文字のもつ『慈しみがあり、優しくて、人の心の痛みが分かる』ひとになってもらいたい。




【コードネームは仁三郎】だった。

2001/3/7 6:35AMであった。
AM1:30に陣痛が始まり、3:30に産院に行った。
県立病院で3397g、おおよそ3400gである。
麻菜の時よりずいぶん大きい。


名前が問題である。
高木仁三郎先生という人がいる。残念ながら先生はもう亡くなってしまった。
先生の生き方にはとても感銘を受けている。

いつの間にかうまれる子供をその名で呼んでいた。
当然妻は反対するが、妥当な代案もなく時間は過ぎてしまった。
確かに長男なのになぜ三郎なのかと言われると困る。

どんな名前になっても構わない。
そして、先生のように何ごとにも負けないで生きてほしい。 世界は変えられるのだと信じて生きて欲しい。
僕自身がそう有りたいと思っているように。