I'm Not Rappaport の粗筋である。
邦題は 『俺たちブラボー・ブラザース/ホラ吹いて行こう!』 でえあり、悲しい。
一番最初に労働運動の集会を見ている子ども(主人公の小さい頃)の姿が映る。この辺はwowowで取り損ねたのであやふやである。


1)
白人の老人と、黒人の老人が偶然出会う
場所はNYのセントラルパーク、野外ステージ
二人で歌を歌ったり、掛け合い漫才をする
それを、客席から一人の女性がスケッチしている

2)
シーン変わって、公園内の何かの施設の中
黒人の男性は、雇い主(管理員会から委託されている)から現在の職からの解雇を告げられる
(彼はボイラーマンで新しいボイラーを買うと言う事でのリストラである)
そこに現れたのが先だっての白人男性
彼は、労働組合の専任弁護士だと自称する
様々な弁を弄して雇い主に解雇の撤回(管理員会に要請させる事)を認めさせる

3)
黒人の老人は、セントラルパークで毎日小金をチンピラにせびられている
白人の老人はそのチンピラに説教をする
当然殴られて倒れる/チンピラは恐ろしくなって逃げる(ナイフを落して行く)

4)
松葉杖(歩行器)をついて白人の老人が現れる
娘が現れる
老人が若い頃労働組合の闘士だった事が分る
娘から、老人ホームへ入る事を説得される
ここでも大法螺を吹く/イスラエルに隠し子がいて、その子の元に行くと言う話を作ってしまう/
2日後にその子にあわせると話をする/娘はとても傷つき去って行く
5) ふと見上げると、以前二人の事をスケッチしていた女性がカーボーイ風の男に殴られている/
男はニュヨークが人間を駄目にするとつぶやきながら2000ドルを払うように言って消える

彼女を助けるから自分の娘役をやってくれと白人の老人は語る

6)
カーボーイの店(彼は、闇で麻薬を流している)にリムジンで乗り付ける
遠くから来たマフィアの大ボスと言う触れ込みでブラフを掛けるが最初からばれている
黒人の老人はナイフを出してカーボーイと戦う/危うく死に掛ける

7)
一ヶ月後、最初に会った場所で二人出会う
白人の老人も今ではチンピラに金をせびられている
彼女は結局来てくれなくて、白人の老人は昼間、老人の集会所に行く事を義務付けられている
黒人の老人は嘘がばれて結局解雇される事になっている
白人の老人は自分の事を話す/小さなレストランのウエイターであった事、組合運動にも関わったがわずかな期間でしかなかった事を語り去って行く
黒人の老人は、「嘘だろう、あんたがそんな人間だったはずが無いと声を掛ける」
去って行く老人はふと立ち止まり
「銀幕にいた事が有る、あれは.....」といって、レッドパージの頃(ハリウッドテン)の話を始める
黒人の老人は身を乗り出して話を聞き出す

カメラは引いて行って木陰を抜けてセントラルパークを全景する

この映画は、ボブフォッシーにささげられている


虚言壁の有る白人老人は映画人を象徴している/理想を語り、現実に向かって行くが実際の暴力にはまるで力が無い/
人を感動させる事は出来るがそれ以上の事は出来ない/それでも語り掛ける事を止められない人間を象徴している

まさか、最後でレッドパージの事が出てくるとは思わなかった



カーボーイは暴力を象徴している。
自由、平等、博愛と言った価値観と全く異なった価値観を持つ存在。昔から有り、今後も消える事はない

麻薬中毒の女性はまさに現実の社会の小市民的な存在弱くて、ずるくて、打算的で、自分勝手である。しかし、彼女に対しての物語の目は優しい。
結局白人の老人はリアルな現実の前では5連敗なのである。そして彼は舞台から去ろうとするのだが、黒人の老人の語り掛けに応える形で思わず語り始めるのである。
黒人の老人は白人の老人と一緒に歌ったり、カーボーイを騙す手伝いをしたりする。結局は手ひどい傷を負うが、人生を楽しんでいる事に気がつく。
断片的に出てくる様々な警句は私達や、登場人物を感動させる。しかしながら現実の社会に対しての力はない。

「映画と言うのは現実の世界に対しては全く無力だけど、こんなに素晴らしいじゃ無いか」と語っている
僕もそう思う


もっと、色々書きたい事は有るけど、今日はここまで


1999/4/28