思春期と言う映画の事
1976年だから僕が16歳のときの事である。
多分、新潟の名画座で見たと思う。
フランソワ・トリュフォー と言う監督の事も、この映画がどんな事を話しかけようとしているのかも分からなかった。

今(2004/6)、なぜか思い出した。

良く覚えているシーン
物語は余り語るべきストーリーが有る訳ではない。今考えると非常に『政治的』なメッセージを持った映画である様な気がする。

ラストで、先生が子供達に語りかけるシークエンスが有る。なぜか良く覚えている。
なぜ、大人は子供に選挙権を与えないのだろうかと語りかけるシーンである。
子供も大事な社会の一員なのだから選挙券を与えるべきだと語るのである。

子供達は虐げられていたり、遊び、喜び悲しみ悩んでいるのをこの映画では語っている。
そして、子供は大人の幼虫でもなければ卵でもないと言う事が実感される。
独自の文化とルール、夢と肉体を持った存在なのだと語りかけている。

今の日本はもう駄目かもしれない。
今、日本の社会は戦争に向かってまっしぐらの道を進んでいる。
誰がどう考えても、そうしか見えない。

子供達の為にもう一度頑張らなければ行けない。
とにもかくにも選挙に行こう。

特定の政治団体に属していると言う理由だけで投票したり、自分の会社に利権を生み出してくれる政党に投票する人を避難するつもりは無い。
しかし、子供達を戦争にやる事を何のためらいも無く進める様な政党、政権に投票する人間は馬鹿だと思う。

今、イラクでは沢山の罪無き子供が殺されている。
そして自分たちの未来に絶望を感じている。
テロリストと勝手に呼ばれる人間は自分の命をかけて信念を守ろうとしている人々である。

自分達の石油利権を守りたい為、軍事産業の要求の為にそんな状況を作ったアメリカは間違えていると思う。

次の選挙は最初のチャンスである。子供達の為に投票しよう。


そして、思春期の最後のシーンでは沢山の子供達の笑い顔がスクリーンを埋めるのだ。
子供達の世代を信じるほか無くなったら、大人の世界は余りに悲しいではないか。