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Philosophical Deliberation about DEMOCRACY/
【有害ページ認定の喜び】/
2000/1/26
さっき、久しぶりにどうなっているか見に行ったら、何と有害指定が消えていた。
何か悲しい。
それでも、まあいいか。
以下のようなメールを送ったからかなあ?
Subject: 私のページのどこが有害かお教えください
Date: Thu, 2 Dec 1999 21:18:38 +0900
From: 齋藤真也
To: cybernot@cyberpatrol.solution.ne.jp
X-Mailer: ARENA Internet Mailer 1.5.4 PPC
こんにちは
初めまして
新潟に住んでいます齋藤と申します
私は個人的にwebを立ち上げています
先頃友人から私のページが御社のフィルタリングソフトで有害なページに認定されて
いると知らせを受けました
以下のURLが私のwebです
http://www.inet-shibata.or.jp/~diet/
直すところは直してできるだけ多くの人に見ていただきたいと思う所存です
まあ、有害だと感じる人もいるのだろうなあと思いましたが、どこが有害なのかお教
えいただければ幸いです
ではまた
1999/11/11
『祝、有害ページ認定記念』!!!
やったぜ、万歳、僕のこのページが有害ページに認定されました!!!
CyberPatrol
というwebのフィルタリングソフトの中で有害なページとして認定されました。
どうせなら、日本国から公的に認定されたかったけど、まあ、いいか。
少なくとも、お金をとって人様に売るソフトの会社から有害であると言うふうに言われると言う事は『言論』として考えていただけていると言う事だから嬉しいなあ。
CyberPatrolさんを表賞したい。
と、まあ冗談はさておき、こういうフィルタリングソフトと言うのも困った物だなあ。確かに、お前は子供にこんな物を見せたいのかと言われればそれまでだけど、webはあくまで実際の世界を映している物だと言う事を忘れてはいけない。
『裸や性行為と言う物は制限してもいいのだ』とは思えない。
過去の言論弾圧の事例を見ても、最初は『異端』と誰が見てもハッキリ分かる物をねらい撃ちにして、その後で徐々に『異端』の幅を狭めていっていた。
「日本ペンクラブ」が以前「ポルノチックな作品は規制するべきだ」という二重の基準の理論を展開した時に筒井康隆たちが、「ここで言論の制限を許したら、次は自分達だ」といって最後までポルノチックな作風の作家の立場を守ろうとした事が有った。
(俗に言う日本ペンクラブ事件」である。いつの頃だったか覚えていない。細かい経緯は今度調べてページにします。)
当然の事ながら、言論と言うのもメディアによって定義が変わり、環境も変わるのだから様々な議論がなされなければならない。
フィルタリングソフトを入れるも入れないも個人、企業の自由なのだからその存在に意義を唱えるつもりはない。私企業がこういったフィルタリングソフトを作るのはニーズが有るからなのだし、それだけインターネットが多くの人の目に触れるようになってきたと言う事だからいい事なんだろうな。
確かに、自分が中学校の先生で、子供達にインターネットを使う事を教える時にどう教えるか、とても困った物だよなあ。万一、子供が「お×んこ」写真を印刷して持ってるとこPTAに知られてた日にゃ....真っ青だぜ。
しかし、こう言ったフィルタリング機能が万一少数意見を封じ込めるような機能を持つようになってきたら困るなあ。
インターネットが民主主義にとって重要な役割をしているのは 『少数』と言う定義を変えようとしている点に有るのだから。
以前ならば一人の個人が自分の主張をこのような形で世界に訴える事など出来なかった。インターネットは全世界と一人の個人がwebという静的な表現を通して議論できるのだ。
そして、世界が個人の集まりである側面を持つ限り、webは世界を変えうる。
そして、少し調べてみたら、アメリカで図書館でのフィルタリングの全面的な使用を違法とする判決が有った事を知った。
公的な図書館でインターネットを閲覧可能にする場合、未成年者向けと一般向けの端末を用意して未成年者向けの端末をフィルタリングするという行為は問題ない。
しかしながら、すべての端末をフィルタリングするのは表現の自由を犯す可能性が有ると言う判決である。
子供を一定の情報から隔離したいと言う要望は当然である。しかしながら、自分達と違う存在を否定してはならないという思想がここには見られる。
多くの人種、考え方、感じ方が集まっているアメリカだからこその思想である。僕はアメリカと言う国は大嫌いだけど、彼等が育てた思想には敬意を感じる。
『ホモもレズもSMも、近親相姦もフェチも...........も、みな人の人としての営みなのだ。そして、個々の差異を容認する事ができるかどうかと言う事が重要なのだ』と言う事を麻菜に伝えたい。
(だからしなさいと言うのではないです。お前がそう言う生き方を選んでも僕は君を愛する事には変わりないのだと言う事です。)
今世界が必要としている思想は『お前と俺は違う。だからお前を否定する』という思想ではないのだ。『お前と俺は違う。しかし共に生きて行かなければならないのだ。ルールをきめよう。そして理解し会うように努力しよう』なのだ。
そして、インターネットはそれを現実の世界に実現するための大きなツールになると思う。
けど、このページのどこが問題なのかな?