INDEX / 坂口安吾

坂口安吾

あらゆる学問は「人間とは何か」という問いかけを行っている。
皮膚の内側から逃れ得ぬ悲しさを嘆きつつも

堕落論というわずか12ページの一文で、坂口安吾は計り知れないほどの深みを持った人間洞察を行っている。
100万語を費やしても原文にはかなわない。



堕落論

半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といで立つ我は。大君のへにこそしなめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)となる。ももとせの命
................................
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくだろう。人は永遠に自由ではありえない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
...............
戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ。だが人間は永久に墜ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるだろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇を編み出すには人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦墜ちることが必要であろう。墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である



筑摩書房/ちくま文庫/坂口安吾全集14/堕落論/p511,p521-522
原本にあるルビは()で括って該当語の後に置いた




1906年10月20日/新潟県新潟市西大畑町579番地に生まれる
1945年/39歳/8月14日/ポツダム宣言受諾
1946年/40歳/4月「堕落論」/6月「白痴」を発表
1947年/41歳/梶三千代と結婚
1955年/49歳/2月17日/桐生の自宅で突如脳内出血を起こして逝去



ページ先頭に戻る

文句の有る奴は相手になってやる、いつでも来い