INDEX 正しい食事FunOfLife/ 大阪大好き


正 し い 食 事  【 大阪 】 ββ0.01バージョン


大阪
糖尿病は多く誤解されている。
僕が会社を首になったとき、アル中の部長は僕に君が糖尿病だと分かっていたら会社も雇わなかったかもしれないと言った。全くひどい話しだが、この程度の人間かと思うと怒る気にもならなかった。


どんなものにも「耐久年数」と言うものがある。設計された使用環境で使った場合にどの位もつかと言うものである。老衰と言うのは人体の「耐久年数」が尽きる事で事故による死が襲わない限り全ての人間は逃れる術を知らない。
糖尿病は「設計された使用環境」を逸脱した使用の為に通常保証されるべき年数より速く老衰がやってくることである。

そしてこの物語の主題は二つ、ヒトに取っての「設計された使用環境」とはどの様なものであるかということ。大阪はとても素敵な街だということ。
コミュニケーションの謎とは何かということ。

大阪は第二の故郷
難波も西成の飲み屋も豆腐屋のおじさんも皆優しく僕を受け止めてくれた。
東京の15年間で僕はボロボロになり、大阪の半年で生き返った。東京で15年暮らして一人のお隣さんも出来なかったのにここでは半年で数え切れない程の人達に出会った。一生忘れられない半年だった。もしかなうならばもう一度大阪で暮らしたい。来生など信じないが大阪に生まれることが出来たらそれはとても幸せな事だ。

大阪に来たのは3月17日朝6時に着く夜行列車、大阪は初めてで、大阪弁は怖かった。
どんなことが待っているかも、これから何が起こるかも知らずホームに降りた。寝台列車は狭かったが疲れていたのだろうか、一度も目覚めないで大阪に着いた。34歳にもなって嫁も無くこれから何が出来るのかも分からず見知らぬ土地に一人。人生においてこれだけ不愉快なシュチエーションは多くはない、無論、楽天的にとらえれば楽しみでもある。
肌寒い曇り空の大阪駅は冷たく僕を拒否しているように感じられた。
二週間前に来て、部屋は決めていた。今日の午後に荷物が着く段取りになっていた。不動産屋がまだ開いていないので、梅田の地下街を彷徨い時間をつぶす。やたらホームレスの人に目がいく、何をする訳もないのに道の反対側へと目をそらす。若い連中がたむろする光景も怖く見える。喫茶店に入ろうかと思うが何故か躊躇する。おかしな非現実感がある。てめーとか言われながら突然襟首を捕まえられたらどうしようとか、鞄をひったくられたらどうしようと考える。

梅田駅から地下鉄に乗る。空気の固さが東京と違うなと感じながら何故か背中の方向を気にする。回りの会話がやけに殺気に満ちていている様な気がした。花園町駅までの二十分間まるで気が張ってピリピリしていた。道を聞いても、物を買っても、大阪は怖かった。なぜだろうか。後に気が付くのだがけど、大阪の人ほど親切に道を教えてくれる人もいない。道を聞いてしばらく歩いて、見返すと教えてくれた人が心配そうにこちらを見ている事が有る。きちんと教えたとおりに歩いているかをみていてくれている。これは余り他所では見れない姿だなと思う。
不動産屋で鍵を受取り、商店街を抜け古びた鉄筋アパートの二階に着く。アパートは四階建で屋上がある。屋上には物干し台があり、大阪が一望できる。すぐ横を南海電車の高架が通っている。灘波から天王寺方向から家が密集している。
荷物は昼に着いた。送られてきた荷物を運びいれ、バイクを受け取る。大家さんが様子を見に来る。気の良さそうなおじさんだ。色々話す。かなり古い建物ながら気に入っている。お風呂を焚いてはいる。始めての夜は怖くて外にも出られない。

今も繰り返すことが出来るあの音楽を聴くまで僕は大阪を恐怖していた。
大阪についた翌日か翌々日、桜が咲く直前の近所の小学校、コンビニエンスストアへ行く途中、小学校の校庭で子供達が遊んでた。
鬼ごっこやかくれんぼう、鉄棒やドッチボールどこでも子供の遊びは同じ。ころころ転がりあちらへ、こちらへ忙しい。見ていて飽きることはない。大声は子供の特権。やんややんやとやかましい。聞くつもり無く耳から入って来たその声は、優しくて、まろやかで、リズムがあり、会話していた。「そやねん」「なにいってるねん」「なにしとるんや」「こっちやで」大阪弁は優しくて丸みがあって、とても良い手触りがある。柵に寄りかかってぼんやりと見ていた。東京にいたころ、大阪出身の連中と話したときは、彼等の言葉は怖かった。大阪弁は鋭角的で、断定的で、冷たくて背を向けていた様に感じた。二言目には東京もんはと言葉を繋ぐ。映画でもやくざの人とか怖い人が多いしなというイメージが変わった。大学時代に始めて生の大阪人の言葉を聞いてから十年目の事だった。
心優しき大阪人は東京で回りの人間の冷たさにうんざりしている。彼等の言葉が恐ろしく響くのは回りの姿を映しているからだという事。東京の大阪人は孤独で辛い人生を送る。
サンダルはいて、ジャージのズボン履いて、ぼんやり眺めているうちにびっくりしている自分に気が着いた。その音楽は僕に何かを伝えてくれた。まだ、桜には早いが花の予感をさせる幹が並んだグランドはここが何処かも、今何をしているのかも忘れさせてくれる。

大阪についてから2日間僕は何を聞いていたのだろう
余りに優しい響きに涙が出てきた、34歳にもなり、何が出来るのかも分からず、可能性も有るかないか分からず、未来も見えないまま大阪に流れてきた自分を思わず忘れていた。

コンビニで御弁当買って「ぬくめますか」と聞かれ、胸を打たれた。「あたためますか」とどこが違うかと聞かれると困るが、お店の人の声は優しくて、確かに僕と言葉を交していた
この町がずーと、語りかけていたのだと言う事をその時知った。

今年の一月に十五年過ごした東京から新潟に帰ったものの、適当な仕事はなかった。東京に本社がある設計コンサルに勤めているおじさんに逢いにいき、今までのことを話す。おじさんは僕を気に入ってくれたようだった。コンピュータでの経歴を買ってくれて、自分が常務をしている会社に入ってくれないかといわれた。新潟で暮らせないということなので一度は断わるが二度誘われて考えた。日本一の会社にするために僕の力が使って貰えるならば面白そうだなと考える。コンピュータでは進んでいるので僕がいくら頑張ってもこの会社のコンピュータセクションには入れないだろうという事で営業として入ることになる。ただし、今までの力を多いに振るうことを約束する。
大阪で数年修行してから新潟の支社に戻る様に段取りになる。新潟で親と暮らそうと思い帰ったもののまた遠くにいってしまうことになる。二度程面接をして決めたものの、どうなることか前が見えない。
大阪にいくことを決めた時に持っていた大阪のイメージは東京のミニチュア版程度の物しかなかった。

いつも、一年後何をしているか考えると訳が分からない生活をしてきた。一年後が見えない生活、鬼も笑えない生活は続く。

大阪が与えてくれたのはMACを初めて見たときの感動と同じもの。
MACに初めて触ったのはいつのことだろうか、正確な日付は覚えていないがもう十年に近い日々が流れた。
日本の片隅で僕はアメリカの片隅で作られた表現に感動する。彼が作った作品は何かを僕に伝えてくれた。僕の心の中には見終わった後で何かが生まれていた。僕の中の何かが変わっていた。これがコミュニケーションの謎。皮膚の中に閉じ込められた個はいかにして世界と会話しているのか、まるで分からない。そして人生は変わった。ただし、少しだけ。

大阪の街や人は僕をたゆまなく感動させてくれた。後に知ることになるが、住居に選んだ所は西成区の天下茶屋という所(素敵な名前ではないか)で、大阪の中でも最も庶民的な所だった。粘っこくなくそれでいて親しい人間関係。人生を楽しむことを何よりも知っている人達がいる。僕の好きな映画の中に「この土地で一度でも小便をまいた奴は大阪の人間や...」という言葉がある。そして僕も大阪の人間に加えて貰えるのだろうか。
この街に僕が居ることで街は変わり、僕も変わる。

地下鉄の花園町駅からスーパーいずみやの角を行くとサンスーク花園商店街という名の商店街がある。そこを抜けて左に向かい、南海電車の高架線を超えて一本目の道を右に曲がる。両側に木造の家が並んでいる路地を少しいくと右側に僕のアパートがある。

アパートの向かいには床屋さんがある。道路に面した二階の窓から顔を出すと店の入り口が見える
親父さんとおかみさんと阪神ファンのおにいちゃんの三人で店にはいつも楽しげに客がいる。いつも髪を刈る訳でないお客さんがいる。何処かにいってはお土産をもってくる客がいる。親父さんは太っていていかにも旨いものすきの大阪のおっちゃん。歳の頃なら45歳程度、太った漫才師みたいな釣り好きなパンチパーマの親父さん。だみ声で、いかにも大阪の話し好きな床屋の兄さん。
初めて髪を刈って貰ったとき色々教えて貰った。「あにさん、大阪に来たんやから金を残そうとか思ったらあかんで。旨いもの余計に食べて使わなあかんで。」その通り、その通り、ご忠告に従わせていただきました。旨い店を聞くと「人の舌は各々やからどこが旨いとは言えへんけどワシが好きなところなら教えられるで」てなかんじ。「やーさんはいけませんワシら汗水垂らしてはたらいとるのに何もせんのやから」「一回あったんねん、これ(奥さん)が顔あたってて、小さな傷付けてしもたんや」「そしたら、そのやーさんが言うには他の店なら二百万取ってる所やいうんや」「そんな事いわれて髪かってられまへん」といってやくざどついたり。これまた凄い話しだ。
僕の親父とおふくろが大阪に遊びに来たとき大阪のお土産を貰ったのには驚いた。頭を刈っているとコーヒーを出してくれるのにも楽しい、インスタントでも嬉しい。微妙に髪を来る手順が違い面白い。シャンプーをした後で乾いたタオルを渡してくれて自分で顔を拭かしてくれるあたり気に入ったサービス。少なくても僕は始めて。もともと床屋のおしゃべり程嫌いなものはなく東京にいる時は、千八百円のベルトコンベア式床屋を愛用していたのに大阪ではここ以外では刈る気はありまへん、楽しかった。
大阪の近所付きあいはこんなお店が作っている。
「おやじさん、俺、糖尿病だったんだ」と言って免許の写真を見せる。ピークの時、百二十キロの時にとった写真と今の写真を並べて見せる。まるで犯罪者だ。二十キロ痩せたことを話すと、皆驚く。「そやけど、つらいやろ、苦しいやろ」「わしも痩せんといかんのやけど、食ってうまいもの食って太るんやさかい、ええやないか」そのとおり、そのとおり。
「ところで兄さん、どうやったら痩せられるんだい」
玄米をお櫃ごと床屋にもってきて食べて貰う。「うまいね」「これなら食えるね」僕が痩せた時の記録をあげる。

良く晴れた日曜の午前、髪を刈りにいくが満員。「空いたら呼んで」といって部屋の窓をあけ、布団を窓に干しながら席が開くのを待っている。窓の外から「にいちゃん、席あいたで、いつでもええで」おやじさんが呼ぶ声がする。日差しの中、取り留めもない話しをしながら髪を切る喜び。またいつかあの店で髪を刈りたい。


【玄米のすすめ】
1993年の冬、偶然玄米を3-4日食べてみた/2日目から、怖かったトイレ(痛みと苦痛の半畳)が楽しみに変わり、食事がこれほど身体の状態と密着している事に感動した/なにせ、それまでは単二乾電池から単三までの太さと固さの物が苦痛と出血を伴いころころと出てきたものが、玄米に変えたら柔らかくってふかふかの物が、するりと出てくるのだから驚いた/これが気持ちよいのだね/その後はいかにうまく炊くかの研究の毎日..水加減火加減むらし加減/お櫃を買って、炊いた御飯を3時間位冷ました玄米のうまさっていったら、もはや描写不可能/米粒一つ一つに何とも言えない滋味がありゆっくり噛んだ時の味の変化は驚き以外の何者でもない/米粒の外側の味と内側の味の微妙な違いが楽しめるようになると、噛むことが楽しくなってくる/百回噛めとか良く言うけれど噛むとおいしんだから噛むことが自然に感じられる/少し慣れて「焦がす技」を覚えると、白米が焦げて炭になるのと違いミネラルが焦げる香ばしさと米の持つ素朴で深い味の絡み合いは33年間の米喰い人生が何だったのだろうかと感じてしまうほどの物/食事は楽しくなくっちゃ/玄米は堅くって、ゴムみたいで、飲み込めなくって.....という話しを聞いていたし、玄米食を勧める人達の言い方がどうも気にいらず(百回噛めとか、薬だと思って食えとか、白米を食う奴は馬鹿だとか、玄米以外は腐った食い物だとか....ねえ)敬遠していたんだけど、これはいい..まあ喰いね
【炊き方】圧力鍋を使用する場合(今の電気釜はマイコンで焚けるようになってるからねそれでもOK)
比率:米1に対して水1.5-2/前の晩から浸しておいても研いですぐでも良い
1.重りが浮くまで火力は中又は強火7分〜10分季節や量によって時間は違うので沸騰するのを基準にしてください)
2.その後25分〜35分弱火
3.火を止めて15分蒸らしたら出来上がり

各自研究の上、おいしい玄米料理を極めましょう(豆類との組み合わせがとても良い)
一番いい点:美味しいところ
もう書いたから繰り返さない/美味しくなかったら食べる価値はない
二番目にいい点:食物繊維が豊富/ビタミン・ミネラルが豊富
食物繊維は血糖値の上昇を緩やかなものにして、下降線も同じように緩やかにします/つまり砂糖やアルコールの様なカロリー食品と正反対の働きをします=【糖尿病にいい】/食物繊維は滞腸時間を短くする/便秘が一発で治ります..とにかく凄い=【腸ガンを予防】/他にも胃潰瘍や高血圧や脂肪(コルステロール)が多い人にもいい....いいことずくめだね...自分で確かめて効果が有ると思ったらいいね/ただし、玄米には別に特別な力が有るわけでも神秘的な秘密があるわけでもない事を忘れないで下さい/ただ単に、傑出した栄養原なだけです/精製の度合いが低い穀物をとることが身体に大事と言う事なのです/だから、玄米を食べられなかったら(今の日本では食べられない場合が圧倒的に多い)食物繊維を豊富に取れる食事を組み立てるようにしましょう/欧米では(行ったこと無いけど)全粒パン「黒いパン」が望めば買う事が出来るそうです/それだけ食物繊維の重要性が認識されているのでしょう
けど.....:ビタミンBが熱で破壊される/残留農薬の心配
ビタミンBが熱で破壊されると言う人がいるけど、そうかもしれないよね/けど美味しいからいいや/カルシュウムの吸収を食物繊維が阻害する効果もあるんだけどそんなに気にするほどのことはないよ...異常に多く食物繊維をとっている場合だけ問題になります..食べて美味しい料理になっていれば大丈夫/残留農薬が心配な人は無農薬の米を買ってください/僕は、食物繊維が滞腸時間を短縮する効果やフィチン酸が有害物質と結びついて体外に排出する(有害部質をキーレートすると言います)ことを信じて、別に心配しないで通常の栽培の物を食べています/ただ、残留農薬に対しての科学的な分析は余り見たことがありません/厳密に論じていくと白米であっても通常の栽培方法をとっていたら危ないということになるからかなー/玄米の農薬がいけないという人は白米なら大丈夫という証拠を見せて/農薬漬けの農業との対決はいつの日かどこかで/全粒パンの場合はどうなのかな/かえってアメリカ何かだときちんと調査結果公表されているかな/今度調べて見よう/食物繊維の重要性が認識された現在、とにかく心配なことです/悪く言う人も、良く言う人も熱狂的になりがちなのが困ったものだ。/こないだもとあるダイエット本でヒステリックに玄米食を消化に悪いと攻撃していた人がいたけど内容は無知もはなはだしい/困ったものだ。

★★★★★

サンスーク商店街の中程に世界でトップクラスの豆腐屋さんがある。気の良い親父さんと気の強そうなおかあさん、そしてもう一人のおにいさんの三人でやっている。ここの豆腐を毎日一丁ずつ食べることになる。手の皮は水に毎日つけるからぼろぼろになっている。豆腐の食べ方を聞くと買い物に来ているおばちゃん達と一緒になって作り方を教えてくれる。
だしの利いた薄口のつゆで魚をたいて、一度引き上げて豆腐を入れて、味がしみたところで魚を戻す。豆腐がしっかりしているとこれが旨いものだ。黒門市場で安い魚を買ってきて、豆腐を二丁使いでき上がったらタッパウエアにいれ保存する。ここの豆腐でないとこの味は出ないんだよね。店の前を通ると兄さん今日はいらないかねと気楽に声をかけてくれる。ごまがかかっている厚揚げや三角形の厚揚げ、これは始めて見たけど旨い。この商店街の悲しいところは七時前には閉まってしまうことだった。
「あにさん、そろそろ慣れてきましたな。」
「大阪はどないですか」
「そうでっか、ワシらもそない言うて貰うと、うれしいでっさ」
「えらいな、あにさんは、いっつも、ごはん自分で造ってるんでっしゃろ」
豆腐を四丁ずつかってタッパに入れて水を毎日変える。大体一週間で皆食べる。なるべく蛋白質は植物性の物を採るのがいい。木綿ごし豆腐の味がまた違う。僕が今まで食べて来た木綿ごし豆腐は一体何だったん打ろうかと思う程違う。とにかく旨い。

★★★★★

商店街をもう少し家のほうに歩くと漬物やさんがある。結構色々な種類の漬物が並んでいる。大阪の店のデイスプレイはすばらしい。華やかで機能的で落ち付いている。花屋さんの店先も同じように華やかだ。大阪の店先はうつくしい。特に気取っていない店先のシンプルな美しさは何処から来るのだろうか。納豆が売っていて最初驚いた。大阪では納豆などないと聞いていたのに全くの嘘だと言う事を知った。「そうやね、結構食べているよ。体にいいの知ってるしね。」にこにこした漬物屋のおばちゃんが言う。回り寿司でも納豆の軍艦巻がありこちらに来たら納豆は食えないのかなと思っていたのが一安心した。そんでもって驚いたのがこの納豆の旨さ。東大阪で作られている納豆が一番旨かった。ここの店で買う納豆が主食の一つになることになる。確かに東京にいるときも、東京生まれで納豆が大嫌いという人間も多かったからな。大阪イコール納豆を嫌いと考えてはいけない。

★★★★★

高架線をくぐり曲がらずにまっすぐ行くと妙寿司という店がある。一間の間口で奥行きは二間半の広さ。カウンターだけの店で七つしか席が無い。店には便所が無いから家で用を足してから遊びに来る事。途中したくなったらで家まで帰るなり、向かいの駐車場の車の影でやる他はない。しっかりとした漆塗の桶が置かれている、古い丸椅子が並ぶ。出来た当時の。おかみさんは痩せていてとても気のいい人。眼鏡をかけていて細面の目はぱっちりしている。瞳は優しそうな光りを持っている。髪は上げて後ろでひっつめてる。とても素敵なおかみさん。
何をすることもなく路地を歩いていた。近所の百円ラーメンを食らう予定で行くが満員で入れない。ぶらぶら歩いていたら、ふと目に止まったのがこのお店の狭い入り口とはり紙。五時から開きますと言う貼紙が有ったのが少し気になり、その時間に行ってみる。おかみさんが、ちょうど店の鍵をあけたところにつく。「今日はもう始まっていますか」「ええですよ」大阪のイントネーションで優しく答えて貰う。ビールを頼み寿司を握って貰うことにした。「もう今日は、はり紙してたのに、遅くなりそうで気が気でもなかったんよ」早口で話されてなかなか驚く。たかだかはり紙の時間に間に合うように走ってきたそうだ。その誠実さが美しい。
「兄さん何処からきたんや」と聞かれる「新潟からです」「そうでっすか、大阪はどうですか」「ええ楽しいです、いい人ばかりで街も楽しいし最高ですよ」「東京に十五年住んだけどこんなにお隣さんなんかできなかったもの。大阪はいいところだね」「そやろ、特にこの辺りは人情が厚くていいとこやで」
この店のお寿司は凄く旨い。桧のお櫃に入ったご飯をおかみさんが握るんだけどとても柔らかい味がする。ビールを飲みながら、さほど多くはないが選ばれているネタを一つずつ頼んでいくと楽しい。
お客さんも皆顔見知りでもちろんカラオケなんか置いていない。二十年前にこの街で商売を始める事にして最初の一年は職人をやとい、その後自分達でやり出したそうだ。子供は二人、いずれも働き出している。
「大阪の人は道一つ教えるのでも本当に相手の気持ちになって教えるんよ。私なんかも道を教えた後で間違えて教えたんじゃないかってずーと気になるから。間違えて教えたときなんか後追いかけて教え直さないとっておもいますがね」息をも継がない早口で話される。店に来る常連さん達とも気楽に話しが出来る。自称産婦人科のお医者さん(本当は違う)やもう引退しているおじいさん、鳶職の頭、沖縄から帰ってきたばかりの現場作業の親父さん、店をあけていると次から次へと電話が入って来る。「そうやね、今日は一杯やがね。いつも、すまなへんね。」時間を見て寿司の出前を作って持っていく。メニューは寿司以外におでんやら煮物やらまさに家庭の味がある。おかみさんの笑顔は不思議に安らがせてくれる。

先日、親父さんは動脈硬化でのバイパス手術をした。元気がなくって、今病院の入退院をしている。玄米おじやが美味しいという話しをしているうちに食べさせたくなって来た。アパートまで往復五分でお櫃を持ってくる。台所を借りて玄米おじやを作る。鍋にだし汁をつくるー煮えたら適量のご飯を入れるー卵を落としたかったら落とすー味を整えて長葱や三ッ葉を散らす。玄米の滋味がほのぼのと美味しい。これを食っていれば健康になれるとは思わないがとても体に良いものだ。親父さんも食べてくれた。もう一年も前の話し。

この街を去るとき挨拶が出来なかったのがとても残念な事。出来うるならば、もう一度おかみさんのお寿司が食べたいものだ。

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お好み焼きならお千代さんに限る。大阪に来てから毎日手当りしだいにお好み焼きを食べた。大きな有名な店から、路地裏の小さな店まで食べた。そんな中でも一番のところはアパートから歩いて五分の所にある小さなお店。一間の間口を入ると一畳の鉄板が二枚並んでいる。七十八歳のおばあちゃんがキャベツを刻み、その娘が焼く。話好きな、いかにもお好み焼きやさんのおばちゃんというおばちゃんが絶品のお好み焼きを作る。お好み焼きを小麦粉のパンケーキだと思っていた。僕はまったくの誤解をしていた。お千代さんのお好み焼きはキャベツを食べるための物だった。中くらいのキャベツ半個を千切りにして粉を溶いて焼くというシンプルなレシピ。しかしながら溶いた粉の中味、熱加減、キャベツの切り加減いずれも名人の技が必要になる。
色々と話しを聞きながらメニューを端からこなしていく。店には酒など置いていないあたり味を磨いた店だと分かる。本物のお好み焼きに酒はいらない/時々呑みたいけどね。「お兄さんは勉強熱心やね。いくらでも教えてあげるよ。けど鉄板がないとこの味は出えへんがな。」そのとおり、鉄板とキャベツを切るおばあちゃんが必要だ。次々と近所のおばちゃん達が寄っては焼そばやお好みを持参した入れ物で持って帰る。「お兄ちゃん、もち帰りで持って帰るとまた味が変わるんよ」そのとおりだった。持ち帰りで持って帰ると微妙に味が変わる。鉄板に熱せられ過程でも味が変わる。食べている内に味の七変化が楽しめる。これほどデリケートな食べ物だとは思わなかった。あれほど多くのキャベツを入れるとは思わなかった。大阪の友人に言わせると昔ながらの味だそうだ。最近のお好み焼きはやたら具が多くて味がごてごてしているそうだ。お千代さんの味を知ってから良く分かった。繁華街のお好み焼きは大阪の味の一つかもしれないけどこんな町中の小さなお店もまた大阪の味。

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越中屋と言う寿司屋さんがある。凄く旨い稲荷寿司を食べさせる。大阪の街はどこにでも稲荷寿司が売っている。ここの稲荷寿司はうまい。色々な所でたべたけどここのが一番。一間のショウウインドウにバッテラと稲荷寿司が並ぶ。ガラス窓から店の中をのぞき席が一杯のときはそーと帰る。一杯で入れないことをもの凄くすまなそうに謝ってくれるからかえって申し訳ない。店のなかには四人分の席がある。「わて一人やさかい、お客さんに十分味わってもらえるようにこうしてます」髪を五分に刈った兄さんがてきぱきと取り仕切る。「せっかく店やってるんやさかい、いつか灘波に店もちたいですな」歳は三十四歳で僕と同じ、奇麗なおかみさんが夢を手伝う。夢を持ち、そこでその時、自分の出来ることを全力で行う。大阪の人は皆人生を楽しむ術を知っている。この店のカウンターで盃を重ねながら、僕の夢は何処にあるのだろうかと幾度も問い返した。
大阪の寿司屋は刷毛で醤油を寿司に塗る。甘たれを塗るように普通の醤油も塗っている。この店は醤油差しだった。「魚の油が刷毛について味が変わりますでしゃろ。」と言うのが理由。そして特筆すべきはここの稲荷寿司のうまさ。薫の強い物が稲荷の底にあり、味を複雑にしている。ご飯の混ぜられている具は甘くなく、酢が強すぎもせず実にうまい。一口の大きさも、稲荷の味付けも手を抜いていない。稲荷一つでこれだけうまいとは驚かされる。わずか三口で何度も味が変わる。大阪の町を歩いて、見つける度に一つ二つつまんで見たが、やはりここが一番。
大阪の町を離れるとき最後に寄ったのがこの店だった。深夜バスで新潟迄行く予定で荷物を全て出して一人前の寿司を握って貰った。この街を去るのはとても悲しかった。そして美味しかった。「あにさん、まってえや」と言って彼が握ってくれた太巻きは美味しかった。「代はええから、帰りのバスのなかでたべてえや」「元気出してえな」といって笑いかけてくれた彼の笑顔を忘れることはない。そして彼の夢がかなう事を僕は知っている。

★★★★★

アパートから先に進むと毛細血管の様に入り組んだ道が広がっている。
路地というものを始めて見た様な気がする。子供が遊び、何を売っているか分からない様な小さな店が突然現れ、欄間作りの職人の作業場があり、秤の専門店があり、立ち飲み屋がある。この路地の向こうに何があるのか。奥が深い路地と言う表現を何度か大阪在住の作家の表現の中で見たことが有ることを思い出した。ああこの事なんだなと思った。この後、路地裏の散歩は僕にとって最高のレジャーになる。大阪の路地は文化財だなと考えながら歩く。商店の人は学芸員として文化財の保存に身を粉にしているのかもしれない。
そして路地裏は商店街と商店街を繋ぐ。人口密度比率の商店街面積を比較したら恐らく大阪は世界一なのではないかと思う。どこにこれだけの商店を支えるだけの住居が存在するのだろうか。道路を屋根で覆い、その中は雨は降らない。中を歩けば気軽に声をかけてくる。各々の商店街は皆違った顔をもつが皆どこか似ている。食べ物もうまい、変わった飲みもの(冷やし飴と言う飲み物を生まれて始めて味わった/蕨餅という和菓子も始めて見た)、何か使い道の分からない物が色々売っている。お大きな鍋で煮ている物があり。店先では香ばしい匂いをさせて何かを焼いている。商店街は東西に南北に伸びている。途切れたかと思うと次の商店街に繋がっている。大阪は路地と商店街で繋がっている一つの大きな生き物かもしれない。大阪の路地は生き物が共生する珊瑚礁を連想させる。
アパートから今宮方向へ商店街と路地をつたい歩く。路面電車の踏切を超える。飛田新地をぬけジャンジャン横丁を抜け通天閣の下を通り日本橋の電気街でMACをみて黒門市場で買い物をして灘波をぶらついてから地下鉄で帰る。このコースを一人で歩けるようになればもう大阪も大丈夫。ホームレスの人達が沢山いても、路地の両側に並ぶ一杯飲み屋が昼間から満員でも、道端で寝ている人がいても気にしないこと。みな人生を楽しんでいる途中なのだから。

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通天閣は美しい。そして狭くて悲しく寂しく楽しいものがある。東京タワーと比較している人がいたような気がするがそれは間違い。そもそも比較にならない物同志を比較することは愚かしい。だいたい、東京と大阪と言う対比自体がナンセンスな物だ。
最初に通天閣を見たのは朝の6時位にバイクで走った時。通天閣の回りを歩いている人は何か疲れている。そして、その建物はなんて小さいと思った。そしてその思いは昼間行って見て全く変わる。驚いた。楽しいのだ。色々の人達が楽しそうに、悲しそうに、辛そうに、様々な表情でいるのだ。そして、その一帯の空間が通天閣なのだろう。少し歩けばジャンジャン横丁があり、動物園はある。そして、通天閣は回りにいる人を抜かしては語れない。
ジャンジャン横丁には戦後の闇市の活気があると友人にいわれた。僕のアパートから歩いていける距離にある事も手伝ってここには何度もいった。串焼き屋が並び、立ち飲み屋が満員で安い寿司屋がある。将棋場が有り、真剣な目をした人達が駒を握っている。窓の外から沢山のヒトが将棋を見ている。真剣士という職業があることは映画で見て知っていたが、この熱気は何だ。凄いぞ凄いぞ、顔のシワの一つ一つがいかにも人生を語っているおじいちゃんやおっさんが窓から中を覗いている。
通天閣からジャンジャン横丁にかけての一帯は世界に類を見ない空間だ。高架線の下には古着やら、古道具を並べたおじさんがいて、これまた目が怖い、キット話して見れば楽しいんだろうけど買う気がないのに話したら怒られそうだ。真剣に生きているから怖い。自分の中途半端さを見抜かれるような恐ろしさがある。この恐ろしさは大阪を一貫して流れている。

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桜といえば大阪の造幣局の通り抜けは世界一の露天博。どこにあるのか有りとあらゆる屋台が集まってくる。お花見は人を見に行くものとだれか言ってた。そのとおり、そのとおり。一キロか二キロかとにかく長い長い屋台の山脈が続く。四列の屋台が二本の人の流れを作る。人がこんなに何処から湧いて出てくるのだろうか。
まったく、この土地の人は人生を楽しむことを知っている。最寄りの環状線の駅から降りて水際を歩く。見た事もない屋台や楽しそうな人並みは感動的だ。少しビールや食い物は高いが眺めるのはただだからそれはそれでよい。瀬戸物を並べている屋台で福助の飾りを買う。福が来ますように。
桜の通り抜けというが、その名前で勘違いしてはいけない。桜を見るつもりで行くと面白くない。造幣局の桜は八重桜、僕はそんなに好きではない。お花見は人を見るものと誰か言っていた。ここには実に美しい花がある。一度はこの地に人を見に来るとよい。桜を見る度に今も思う。あの屋台と集う人波の優しさを。
人間の屑たち
「君は、大阪の営業には向いていない」
「それは首ということですか」
「そうとって貰ってかまわない」
解雇を言い渡されたのは生まれて初めてだった。
さすがにびっくりした。
呼びつけられたときには何かと思ったがまさか解雇の宣告とは思わなかった。
どうしたらいいのかなと思ったがしょうがない。
こいつは、全く優しさのカケラも無い人間の屑だなと思いながら、はい分かりましたと言ったものの途方に暮れた。

誰一人知っている人間もいない初めての土地に来て、受けた仕打ちがこれでは悲しいものだ。
精一杯頑張った僕を、自分達のやり方に合わないからと徹底的にいびり、無視して、無理難題を押し付け、それをこなせば陰でこそこそ悪口を言う。怒る以前に悲しくなってしまう。
あげく呼びつけて簡単に一言「首だ」で済ませるのだから信じられない

もちろん、僕も頑固だからMACを使えば5分で終わる計算を延々半日も電卓たたいて間違えた計算をするような仕事には耐えられなかった。
いくらMACでやったらうまく楽に出来るということを話そうとしても直接の上が聞こうとしない。

おまけに、自分から言い出した退職と言うことに成っていたから雇用保険も受けられない。これはもう会社ぐるみの犯罪だあね。叔父さんの紹介で入社したので余り表沙汰にも出来ないけど、ひどい話しもあったものだ。
百万円近くも借金して新潟から出てきてこれでは困ったものだ。
その人間の屑の4人以外の46人の会社の人達は良い人だったから困ったものだ。
支社長の重宗(おべんちゃらの小心物)営業部長の山谷(アル中で息が臭い)営業の野原(自律神経失調症で毎日下痢をしている)と藤田(狸)の四人は僕のささやかな人生の中で出会った人間の中でも最低の4人だった。悲しいけど、屑は何処にでもいる。一つだけ救いは「狸」以外は大阪人では無かったこと。

朝は8時には会社に着く。鍵を受け取り、ガードマンのおじさんに挨拶をする。お掃除おばちゃんがお掃除をしている。「あんたどこかで見た事有るんだけどね」とそのなかの一人のおばさんにいわれる。大阪に来たばかりで知り合いなどいないはずなのに不思議だ。「何処で会ったかね」しばらく話して、同じ駅から通っていることが分かった。いつ会ったか分からないけど、何処かですれちがってたんだろうな。
毎朝会う度にいろんな話しをする。新潟から来たこと、大阪の町がとても優しいこと、とても今楽しいことを話す。西成の安いアパートにすんでるお掃除おばさん。きっと僕よりとても優しく、人生の悲しさと素晴しさをしってる。「いつも早く来て偉いね。」「何いってるの、おばちゃんのほうが偉いじゃない、毎日早く来て」。そう言えば東京で事務所にお弁当売りに来てたおばちゃん、関西の人だった様な気がする。皆優しく、楽しかった。

どこで道が狂ったのか分からないが、どこかに曲がり角があったのだろう。
最初会社に入った時は何が分からなかったが、そんなに屑な連中にも見えなかった。野原の目付きは陰険だったがまあ気になるほどではなかった。歓迎会という名目で呑み屋にいった。僕はゴンゴン呑むから、驚かれた。糖尿病だったことや、体重が百二十キロあったことや、今は正しい食事をして八十キロ代のこと、大阪は素晴しい土地だということ、東京ではソフト作っていたということ。を話しているうちに酔っ払ってしまった。気が付けば家だった。
翌日はまあ普通、本を読んでいるうちに一日が過ぎる。オフィスは心斎橋の外書の販売で有名な書店の五階のオフィスを皆借り切っている。営業は僕をいれて五人、そして技術(設計関連の人間)が四十一人、コンピュータ関係が五人だった。この会社のコンピュータ部門の一番偉い人間が離れた部屋にいた。
突然、その男に呼ばれて三十分程話しをする。可愛そうなおじいさんだった。昔は設計の世界では適当にいい仕事をしていた。今、責任者として仕事をさせられているコンピュータの世界のことは全く分かっていない。その当時の時代の流れを分からずにいる。この会社はコンピュータで進んでいて、とても君にはついてこれないと言われていただけにこまった。
話しをして帰ると回りの雰囲気が変わっている。
翌日は皆よそよそしくなってくる。取締役に呼ばれて話しをしただけなのにどうも変な噂が流されていたようだ。営業会議と連中が称して毎晩呑んでる安酒屋で話してたのかしら。
後で営業の気のいいデブに言われることだが、この話しをした男というのが会社中で皆に嫌われている男だったそうだ。支社長以下みんなでエンガチョ、話しもしないという状態。陰湿だね。可愛そうなものだが後二年か三年で定年だそうだからまあ良いのかしら。けど僕までそれじゃあ困ったものだ。あのおっちゃん、なんでこんなに皆に嫌われてるのかなと思う。僕まで一緒に村八分ではたまらんな。

計画課の方にあるパソコンの使い方(バッチファイルを少し直す程度だが)を教えてあげる。それだけで驚かれて色々聞かれる。教えているうちにふと気が付くと野原と狸が不愉快そうな顔をしている。まずかったかなと思うがしょうがない。
この狸はパソコンを机の上に乗せて毎日眺めている。使い方は全く知らない。せいぜいキーボードを叩いて。カード型データーベースを眺めているだけ(使っているとは言えないほどにお粗末な使い方。けどド素人が使う分にはまあこの程度だけどね)こいつにとって、僕はまずい存在になる。なにせ営業の中では一番コンピュータに詳しい男という事に成っているんだから僕はいてはまずいことになる。一番若い男(これが凄いいい奴、あんなところで飼殺しにされるのが可愛そうなくらいいい男)はコンピュータの専門学校を出ているそうだがパソコンに触らせて貰えない(少し触らせて貰えるものの狸よりかなり筋は良さそうな感じがする)。
ある日狸と野原が僕を呼びつける。
「お前パソコン触るのやめや」
「ワシがいうとるのちゃうで、他の皆が悪ういうとるんや、だから分かるやろ」
誰がいつ、どんな状況で具体的に文句をいってきたか聞くが明確に答えはない
「ワシはええのやけどな、計画課のパソコン使って壊されると皆が困るんや、だから止めや」
人を叱るときはこんな言い方してはいけない。自分が文句いってるのではなく他人が文句言ってるから止めろとは何という言い方だろうか。僕も何人も部下を怒ってきたけど、他人の責任で怒ったりすることはなかった。具体的な行為に対して怒りを表わしたことはあったが、抽象的な理由で怒ることは無い様にした(出来るだけだけど)。
あれ達はグジグジと言うが話しを聞く気にならない。地位確認のための会議や打ち合わせは時間の無駄だ。はいはいと言いながら聞く気もしない。

この点、アル中のじじいは立派なものだった。「俺が気に入らんのだから止めろ」と言うのだから立派なものだ。人間的には全然駄目だったが、まあ少しは許せる。

あーうんざりする。こんな馬鹿達とは話しにならない。今の時代がどんな方向を向いているか分かっているのかこの馬鹿共は、と思うが話す気も失せる。まあぐりぐり頑張っていればいつか分かってくれるだろう。

そして大阪の街は相変わらず美しく、楽しかった。
コミュニケーションの秘密
前略
お元気ですか。大阪での生活も落ち着いてきました。
健康ソフトの件なかなか進みません。最近はDNA学とか遺伝学とかヒトのゲノムの話しや言葉の発生とかを考えています。最終的な姿はまだまだ見えませんが今の所考えていることを書いて送ります。

ヒトの体がどんな経緯で作られて行くか、想像してみます。

世界の初にDNAがありました。

人のからだを形作っている六十兆の細胞は最初一つの細胞から始まります。コピーを繰り返していく訳ですから基本的には全ての細胞は持っている情報の量や質という面から見てみると同じです。
最初の細胞分裂で同じ細胞が二つになります。そして、その二つがそれぞれ二つに分かれ、合計四つの細胞になる。幾度も分裂を繰り返して、やがて六十兆の細胞になります。
不思議なことは、唯一つの細胞が元になっているという事です。驚くべきは、唯一つの細胞の中に全ての情報が入っていると言う事です。どういう過程をへて一つの細胞がコピーを繰り返して60兆もの異なったものになっていくのでしょう。信じられないメカニズムをもっています。細胞の中には、これから起こる事がみな書きしるされている設計図があるのです。一巻の書物には生命の全てが書かれています。その一巻の書物はDNAと呼ばれています。私達の進化の全てが書き記されています。大変な量の情報の処理を私達の体は行っています。必要な蛋白質を作り、他の細胞からの情報を受け必要な状態の変化を作り、他の細胞に情報を伝える。全ての細胞が猛烈な量の情報の処理を行っています。スーパーコンピュータ顔負けですね。DNAは私達の内なる海として全ての生命の情報をプールしています。いつかこの海を私達の意識で理解できる日が来るのでしょうか。

最初の一つの細胞が分裂したときに片方の細胞はもう一つの細胞に語りかけます。「俺は右に成るからお前は左になれ」そしてまた各々が二つに分かれる。「俺は右上になるからお前は下になれ、左上になるから左下になれ」と延々と続きます。今、自分がどの段階かと言うことをコミュニケーションの中から知り、自分を変えていく行為が細胞にとっての成長になり、細胞の集合体としてのヒトが形作られていきます。考えても見てください爪も目玉も内臓の一切も皆同じ一つの細胞が分裂して出来てきたものなのです。どうしてこんな異なった形をとることが出来るのでしょうか。
全ての設計図が最初の一つに込められている事、全ての存在が同じ設計図を持っている事、自分の位置を知りその役目を果たして行くこと。いずれも驚くべきメカニズムが込められています。正確には一つ一つの細胞はその時点では、決められた役目を果たす以外の存在の方法を知ることはありません。
コミュニケーションの存在はそもそも異なっているから必要とされ、双方のあいだに同じ辞書があるから可能なのです。コンピュータの相互の通信にも同じことが言えます。プロトコルと呼ばれる通信手順を互いのマシンが理解していなければそもそも通信は成立しません。誰がそれを決めるのかという事がいつも最大の問題になります。最初に電話を買った男の悲劇です。生まれたそのときからプロトコルは完成して、皆持っていなければなりません。その点では細胞の場合は分裂を繰り返していくのですから良くできていますね。
必要とされるほど近く、可能とされる程遠い関係がなければコミュニケーションは成立しません。

細胞間コミュニケーションは完璧な完成品です。宇宙の中でこれほどの完成度を持った物はありません。細胞の集合の生命も全てこのコミュニケーションを模範とします。
老化や糖尿病と言った病の多くはこのコミュニケーションがうまく取れないことに原因があります。
胃袋は入って来た食物を分解する。分解された食物は栄養素として十二小腸から吸収される。血液の中に溶け込んだ各種の栄養素は門脈と言う名の血管を通り肝臓に送られる。血液の中に溶け込んだ糖の量は脳下垂体に送られる。一定の量以上の糖が血液に溶け込んだことが分かると、満腹になる。各々の細胞は血液に溶け込んでいる様々な分子を細胞のなかに取り込んでいく。人間の生命活動を単純に表現すれば、体液のなかに各種の物質を溶け込めさせ、体液に浸っている細胞に物質を渡す、そして細胞から不必要になった物質を外に出す、といえます。

本来、体液の中に糖をこれ以上溶け込ませる必要のない時に、食事を止める事なく、必要以上に食事をとることで体液中の糖のだぶつきが起こります。だぶついた糖は細胞内に取り込まれ、脂肪に変化させられて保存させられます。そしだぶついた糖と脂肪は血管を傷つけ、腎臓や肝臓と言った細血管からなる臓器を傷つけます。血管のなかには脂肪が溜まり、傷ついた血管は心臓病や壊疽や皮膚病を起こし、全身に病の種は蒔かれます。これが糖尿病です。(無論膵臓が傷つきインシュリンが出なくなるタイプの糖尿病もありますがそれは全く異なった原因の病ですからここでは論じません。無論カロリーオーバーはやがて膵臓を疲弊させ、インシュリンが出なくなるという様に後者の原因となるのですが)

そこで問題が有ります。細胞のレベルでの栄養素が必要だとかビタミンが足りないという情報がどうやって意識に伝わるのでしょうか。そもそも意識というものは何処に宿るのでしょうか。まるで分かりません。細胞に意識があるとして、その意識は細胞の集合に観察される意識と言う物を認識することは出来るのでしょうか。僕は手や足の痛みを感じることは出来るけど手や足は僕の孤独を知る事はあるのでしょうか。細胞は確実に意識をコントロールしています。そしてそれは余りに巧みで私達には分からないのです。
こんな話しがあります。ヒトが甘いものを欲しがるときはビタミンの不足している場合です。何故ならば、ヒトの歴史で果物を食べると、甘くてかつビタミンが体に吸収されるという経験が長かったのでビタミン=甘いものと言う図式が出来ました。細胞がビタミンを欲したとき意識は甘いものを欲しがると言うのです。所が、現在の食環境では甘いものといったら砂糖なのです。だから体内の砂糖を燃やすためにビタミンが必要なのに、その信号がかえって砂糖を取り込むことになり、体内にカロリーを増やすことになります。食事が終わった後で何か甘いものが欲しくなる場合があるけど、そんな時はビタミンが不足している場合が多いのです。いくら食べても口が食べたがるのです。食事のなかで十分に必要な栄養素が取れてないのです。よく、甘いものは入る場所が違うと言うけどその通りなんですね。細胞はカロリーを欲しがっているのではなく、カロリーを燃やすためのビタミンを必要としているのです。
血糖値が上がる事で脳下垂体は刺激をうけ、満腹信号を出すというロジックは実に分かりやすいものです。同時に一度狂った満腹水準はいかにして適正な水準に戻すことが出来るのでしょうか。同じように別なロジックが細胞の要望を意識に伝えます。細胞のレベルから意識のレベルへ橋渡しするどんなロジックが存在するか、栄養学は解明しつつあります。

雨乞いをすると雨が降ります。細胞は体液中のブドウ糖濃度を上げるために祈るのでしょうか。意識が甘いものを取り込む行動をとるまでのメカニズムを細胞は知ることはありません。
ヒトの意識の上にある意識は何でしょうか。六十兆の細胞の上に始めて成り立つ意識の様な存在が、ヒトの上にも存在するのでしょうか。下位とか上位という捕え方は問題があるかもしれません。なにせ、細胞が死ぬ時は意識も死ぬ時だし、意識の活動がなければ細胞も存在を続けることが出来ないからです。上下という支配・被支配というニアンスの言葉は妥当ではありません。社会科学のみならず、哲学や神学といった分野の論理も今はこの考え方に近づいているのではないのでしょうか。細胞にとって集合体の意識の存在が理解不能なように、私達にとってもヒトの集合があって始めて存在する「意識」の存在は理解不能なのでしょう。

ヒトは様々な個人が社会に働きかける制度を持っています。民主主義、市場経済、王政、宗教、と様々に呼ばれ、ある程度づづ重なって機能しています。六十兆の細胞の意識の交換とその上位にある「意識」とのコミュニケーションは社会科学の為の強力なモデルになるかもしれません。
各細胞の教育レベルは完全に一致しています。あらゆる存在に関しての認識も完全に一致しています。細胞間のコミュニケーションも問題はありません。あるホルモンが来たら何をして、何かを必要な時はどんなホルモンを出せばいいか分かっています。なにぶん同じDNAを皆持っているから完璧です。一つ一つの細胞は相手を信頼していて、自分を知っています。(この二つは同じ意味なのです)なにせ、六十兆の細胞のコミュニケーションなのだから困ったものです。
そこには二つの大きな問題があります。一つは、成人病の様にDNAが予想していなかった環境が発生してきたときの対応です。もう一つは癌の様にDNA自身を傷つける病の場合です。
ヒトの社会を顧みて見れば、憲法というのは社会のDNAの様な気がします。全ての構成員が同じように持ち、同じように解釈することが前提です。まあ、これが困難なことは歴史が証明していますね。その理由は何処にあるのでしょうか。まだ時間がかかりそうです。憲法解釈の変遷と改正議論の関係は、生命進化の問題と同じロジックで解析できるのですね。

人間にとって、ある種のビタミンやアミノ酸、ミネラルは必須栄養素と呼ばれています。ミネラルは自然界にある分子ですから他の生命を経由することなく体に取り込むことが出来ます。しかしながら、ビタミンやアミノ酸は他の生命が作ったものを食事を通して取り込むほかありません。取り込まなければ死んでしまいます。これはどういう事でしょうか。
他の生物の細胞の助けがなければこの生物の細胞は生きていけないのです。多くの生命は共生関係にあります。
いきものを殺し食べるとき殺されたいきものの細胞と僕の体の細胞は何か語り合うのでしょうか。
太陽の発するエネルギーが植物に受け止められて、単なる分子を結び付ける。ゼンマイのネジを巻くように分子は複合化されます。そして、消化されて、細胞の中で分子をばらすときにネジで巻かれたエネルギーは外に放出されるのです。
食事という形で次の生命に取り込まれたエネルギーは次の生命に受け渡されます。不要になった体の構成要素は排泄され、植物によって再度太陽エネルギーのゼンマイの材量として使われます。エネルギーの流れとして生命の共生関係を説明している理屈は良く分かります。


「エネルギーが複雑な過程を経て循環する時に意識が生まれる」と定義すると海水が水蒸気になり雨として落下する過程も説明できるかもしれません。雲を構成する水の粒子、雷という巨大な電気エネルギー、風が運ぶ雲と気圧の変化を生む台風の渦巻き、いずれも生命現象と同じく解析は困難を究めます。エネルギーの流れの意識を感じることは不思議はありません。地上に落ちた水は川を経て海に至る。無論、生命の中を経由する水もある。
毎年生まれては消えていく台風は何を考えているのでしょうか。
そんな意識は実際にあるのかもしれませんね。無論あるといっても僕らのレベルの意識とこのレベルの意識では認識不可能でしょうが。大昔に読んだSF小説を思い出します。ロシアの作家の書いたもので、巨大な海を持つ惑星でその海の持つ意識とヒトがコミュニケーションを取ろうとするのですがうまくいかないというものです。

そして、私達はいま内なる海とコミュニケーションを取ろうとしているのかもしれません。

心理学で言う所の集合的無意識とか、言語を発する心的器官という想定は、人としての多くの前提が遺伝子の中に組み込まれていると仮定しています。確かにそう考えなければ説明の付かない事ばかりです。生命の進化の過程が全てDNAの中には組み込まれていると近年の分子生物学は論じています。単細胞生命から始まり全ての生命の段階を通りヒトになります。つまりあらゆる生命のDNAの大部分を共有する存在なのです。恐ろしい量の情報ですね。そして、その情報の展開の過程も考えると気が遠くなります。今の分子生物学の研究の見ている仮定がその他の科学がたどり着いた仮定と一致しつつあるような気がします。
犬や猫といった私達のそばにいる生き物のみならず、植物さえも見ていて楽しそうに見えるときがあります。生命の喜びに思わず共感するときがあります。何故だか不思議に思ったことはありませんか。きっとそれはDNAを共有しているので細胞同志が共感しているのですよ。私達の意識といわれるレベルでない部分で共感しあっているのではないのでしょうか。確かに生き物としては、遥かに異なった形態と生命のパターンをもっていますが、細胞レベルではそんなに違いは無いのでしょうね。
この犬可愛いなと思いながら小犬の頭をなでるとき、僕のからだの手の細胞はすぐそばに来た犬の細胞を感じて何を考えるのでしょうか。美しい花に触ろうと手を延ばす時そこには何らかなの意思が働いているのでしょうか。ある種の嫌悪感は、体の底からゾクゾクと拒否する気分になるのは何故でしょうか。恋をしたとき体の細胞一つ一つが生き生きとする経験は誰でもあるでしょう。
本能といわれる種類の欲望は最も細胞の一つ一つの欲望にちかいのでしょうね。

言語や文化はあらゆる生物に存在すると考えるのが妥当のような気がします。ヒトは何ら特別な存在でも、特異な存在でもなく、有機体生命の一つの形にしか過ぎません。そして全ての生命は無機質をDNAが複雑な経緯で結び付かせたものにすぎないのかもしれません。そんな事を考えているとなんか暗い気持ちになりますね。僕らの存在が単なるDNAの乗り物だなんて考えると不愉快になりますね。
もしも、自動車に意識があったら人間もガソリンも単に動く為に必要な要素に過ぎないのだからまあいいことにしましょう。利己的な遺伝子という考え方が、単にヒトの外にあった神様を細胞の中の具体的な位置に置き換えただけなのならば何の面白みもない話しですね。ただ、人の内なる神様という考え方は納得してもいいかも知れませんね。そして意識の定義と存在の証明を何処かで誰かが成功するでしょうか。今は期待して待っています。

ヒトは文化や言語、愛情や家と言った物を作るための設計図を持っています。しかしながらでき上がったそれらの仕組はいずれも細胞同士が持っているような完璧なものではありません。効果を予測して情報を発するが、発した存在が予測したような効果は受け手には生じることがなく、なおかつ最悪なことに生じていないということを受け手が送り手に伝える手段はありません。

絶望的と言う言葉はこういう状況を言うのではないのでしょうか。

まだまだ道は遠そうです。そして、社会科学が生物学や栄養学を範ととする時がこれから来る様な気がします。これは理系(余り好きな言葉ではありませんが)の学問が「人間」という存在をターゲットに入れ出したということでしょうか。
ではまた

下水道の起源と進化と、その未来
下水道事業は自治体を事業主体として、住民から金を集め、下水道のサービスを行う。国は多額の補助を行い、各種の事業は地域の企業にばらまかれる。設計コンサルタントという職業は、自治体に専門知識をもっているスタッフがいないので、専門知識の必要な分野の代行を行うのが仕事だ。相手の無知につけ込んで金をぼったくるという所や、システムが完成するとやがて必要なくなるという辺りはソフトハウスと非常に似ている。

下水というシステムはヨーロッパで生まれ、アメリカで完成する。そのテクノロジーと思想は奥深いものがある。エコロジーという潮流、私達の衛生感の変化。そして集金装置としての下水道の側面。排泄物の匂いから僕らの生活が切り離されたのはごく最近のことだ。

かつて私達の生活は自然と農業に深く密接に結び付いていた。畑でとれた農作物を食べ、毎日出る「うんこ」をその畑で肥料にする。畑では太陽のエネルギーを使い再度食べ物になる。生活排水は川に流され、自然の浄化力で奇麗になる。

下水道が発達した背景には都市化と人口の集中がある。都市化は進み、毎日出る「うんこ」は畑に帰されることはなくなる。川は地面の下に姿を消す。地面の下に姿を消した川は自然の浄化力を失う。失われた浄化力は処理場で一括に発揮される。ながい距離を運ばれた全ての水は処理場で浄化される。驚くべきことに、処理場では微生物が汚水を分解する。工業的にコントロールされた微生物が毎日汚物と呼ばれる彼等の食べ物を食べる。食べた後のかすは沈澱させて焼固めて捨てる。「うんこ」だけなら何とかなるのだけど、生活排水が曲者だ。現代の生活は重金属のように単純に肥料に再生出来ない部質で一杯になる。かつては生活の中で各々に処理してきたものがばらばらに処理することによって大事な何かが抜け落ち多くの不幸が生まれるようになってきた。

肉体は水と食物を通じて大地と繋がっている。水と食物は文化によって食事と形をかえて体を形作っている。長い年月と試行錯誤が作り出した食事と生活の体系は、簡単な分析でその意味を知ることはできない。一つの人参をとってみても大地によって異なったものが出来る。風土がヒトの性格や肉体に大きな影響を与えていることは今さら論を待たない。
下水道の進化は食べ物を遠くの土地から運び、薬漬けの水を長いパイプで運び「うんこ」を大地に戻さない。そんな生活がワンセットで生まれた。大地から切り離された生活が生まれた。
下水道は血管をメタファーする。家庭に運ばれた食物と水に含まれた重金属と人体がかつて出会ったことのない分子化合物は身体のなかに入り出ていく、その過程で細胞のなかに濃縮される。下水には運ばれた全てが送り出される。僕らの肉体と生活を水に溶かすとあんな色になる。

下水道は三つのパートから成り立つ。A.計画B.管渠C.処理場のパートから成り立っている。
計画とはいかなるコンセプトの元に下水道を作り、認可(下水道の設置には国の補助金がかなりの額使われるために)をとり、全体計画を立てる。どの程度の範囲を対象として、計画人口はどの位で、いくら金額がかかるかを決める。ある自治体の全体計画の仕事を受注すると自動的にその後の仕事はその会社が優先権を持って受注することになる事になっている。発注は入札を持って行われるが、その様な優先権が発生するのは、神の見えざる力と呼ばれる同業者の暗黙の協力が働く為である。だから重要になる。
この会社の計画課の親分がいい奴だった。眼鏡かけて、背は高くなく髪はモジャモジャ、いつも会社に泊まっているようなよれよれの姿、ビール腹風。こんな質問をしたことがある。「今、日本中で下水道は整備されているけど計画の仕事はなくならないの。」実際、「ええ質問やね。確かに下水道の普及率は高いから、僕らの仕事は確かになくなりそうな気がするね、所が今の実施されてる計画は汚水の計画が主なんや、これから雨水の計画が伸びるんや、まああと二十年や何かは大丈夫やね」なるほど、雨も下水に流れるんだね。川を失った僕らの都市の進む道は一直線になる。
「汚水処理の技術というのは市役所のほかにマーケットは考えられないんでしょうか、たとえば、企業も汚水処理なんかの問題はもってるはずですよね」以前、野原に話して、そんな事は考えたこともないと一蹴された質問だ。「そやな、たいてい企業の汚水処理の場合は直接ゼネコンさんがやってしまうね、ワシらの仕事は、資金計画とか、管渠やら、おかみの認可に必要な手続きとかなそういうところが大事なんや。処理場の発注前には、ゼネコンが積算し直す位やからね。」幾度も疑問をぶつけたが、彼はいつも納得させてくれた。

色々僕も教える。パソコンの世界の流れや考え方。使い方や一覧表を作ってあげる。彼等も面白がって教えてくれる。測量のいろはから処理場の設計手順。過去の失敗やら美しい風景。技術屋の世界は同じ。仕事が終わらず徹夜する事もあれば、電話を怯える朝もあるそうだ。

下水道の技術は実に興味深い進化を遂げている。各々の国と風土にあった処理方法があり、効率と経済の問題が様々な手法を淘汰していく。そして下水道技術を研究してきた人達の苦心と情熱が感じられる。
食環境の悪化は下水道の進化と歩を一にしてる。下水道の将来を見たとき栄養学は別な回答を用意するかもしれない。栄養学の啓蒙は下水道の耐久性を上げるかもしれない。

一軒一軒の家はまさに網の目に下水管で繋がれる。繋がれた下水管は枝が繋がり徐々に太くなっていく。最後は処理場に繋がり汚水は水に戻される。下水管のことを管渠(かんきょ)と呼ぶ。この管渠のシステムも色々有る。管渠は人体でいえば血管に当る。上水道を通して各家庭に送られた水は不要物を含んだ汚水として送り出される。当然、汚水が流れるときに管の内側に汚れが溜まる。つまった管を掃除する方法は多くある。人間でいえばバイパス手術から、中を洗い流すものまで様々ある。抜本的な解決が無い限りどうしようもない。抜本的な解決とは流れる汚水が正しい汚れ方をすることである。血管関係の病が食事療法でしか直らなないのと同じだ。
管渠は計画地域の家庭を結び、処理場へ繋ぐ道を設計する。下水道は地下に潜ることにより、自然から切り離される。処理場にたどり着いた下水は機械化された汚泥(微生物)で分解される。完全に管理された環境のなかで泥水は水に戻る。自然がやっていたことを手間をかけてやり直す。

生活の変化は汚水の変化と同じ。油を多用して、洗剤を使わなければ奇麗にならないような皿をならべる食卓は人の血管と下水道をつまらせる。肝臓・腎臓と浄水場・下水処理場を疲弊させる。そして医者と設計コンサルタントと土建屋が儲かることになる。

僕らの生活は大量生産のお弁当とマスメディアからの情報とプラスチックパッケージの洪水に流されている。この食品は身体に悪い。この食品はカルシュウムがある。こういう時はこの食品を食べなさい。ああいう時はいけません。ばらばらになった生活は二度と戻らない。世界のあらゆる土地からやってきた食べ物は僕らの身体を形作る。まさに分子のレベルから国際化がすすんでいるのだ。

化学肥料と大規模農業が作物を変えた。名前は同じだが全く違った何かに変えてしまった。最後の仕上げが下水道。僕らの不幸は下水道を持たないことだろうか、それとも持つところだろうか。

下水道が完備するとその地域の家庭はすべて下水道に汚水管を接続しなければならない。そして、下水道料金を全ての家は払わなければならない。ここには法律で裏付けられた強力な集金機能がある。そして公務としての集金機能は多くの腐敗と不正と愚かさを生む。

僕らの血管は下水道に直結している。食べ物は遠い彼方から加工され、冷凍され、真空に囲まれ、運ばれてくる。油にまみれた料理や必要以上に白い穀物を食べる生活は血液を濁らせ、ドブ川を作る。あの鮮烈な川の流れを身体のなかに蘇らせられたとき、下水道も美しい水を知るだろう。

もはややり直すことは出来ないが、どんな道を通ることで僕らの生活は正しくなるのだろうか。血液は血管をさらさら流れ、肝臓と腎臓は疲弊しない。下水道は詰まることなく流れる。そんな生活を取り戻すことはできるだろうか。
人間の屑
毎日弁当を作って会社にいった。それがまた野原の気に入らなかったそうだ。弁当作っていって会社首になるなんて聞いたことない。「糖尿病の人間なんか絶対に呑みに誘わんからな」とか本当に悲しいものだ。
アル中の事、少しは買ってたんだけどな、いくら野原や藤田が悪口いってもちゃんと、見ているところ見てるだろうなと思っていたのに何にも見ていなかった。部長失格。たった五人の部下の動向を分からないのはもうアルコールが抜けない証拠。営業会議と称して安呑み屋で毎晩割り勘で酒を呑むのは楽しかろう。今夜も呑んでるんだろうな。地球が溶けても呑んでるんだろうな。悲しいものだ。

「いくらコンピュータを使うといっても、計算の仕方が解らんかったらだめや。」野原が陰険そうな目つきで鼻をひくひくさせながら話す。よほど僕の事を馬鹿だと思っているのかしら。
営業がやることの一つだが、積算と言って、一つ一つの項目に関して決まっている係数を掛けて全体の見積り金額を出すのだが、やたら面倒な事とこの男は思っている。「最後は勘や、言葉にはならんのや」「これが難しいんや」「経験がないとそれは解らんのや」「ワシもまだまだ解らんのやけどな」「コンピュータなんかじゃ解らんことや」
何種類かの「人日金額(技術者の一日単価)」が決まっていて、「やる内容の必要日数」が出ている状態で掛け算すると言う仕事を、どうしてそんなに難しいと考えるようになったかは大体想像が付く。つまり、この男がそういう事をやったことがない状態でこの会社にきて苦労したから難しいものだと思っているのだ。段階を追って何がどういう意味があって、どうなるのかを話されれば誰でも解ることだ。この男には決定的に欠けている脳力のようだった。ソフトウエアの開発の見積りに比べれば赤子の手をひねるようなものだ。無論幾つかの問題はあるが、いずれも情報を整理すればいいのだ。たとえば仮設設計という言葉が出てきて何をすることなのか聞くと「解らない」「前の見積りを見て金額を決める」「ワシらは技術やないから解らなくてええのや」という答えが来る。良く恥ずかしくないものだ。技術の人に聞くと面白がって色々教えてくれる。これがまた野原には気に入らない。

勘という言葉をあたかもコンピュータに対比するものともおっている。彼の小さな小さな脳味噌の中にはコンピュータ=単純な計算/人間=複雑な感情/勘=分析不可能な奥深いもの/という図式が渦巻いているようだ。こういう人間を馬鹿と言うのだが、最大の問題点は当人が馬鹿であることを認識することが未来永劫無理だということだ。
データベースシステムを組む場合に、お客さんにヒアリングを行う。そんな時に最もてこずるタイプがこいつらだ。大体目つきが悪く、上司に馬鹿にされていて、頭が悪い。そして、SEやプログラマを何か御用聞きの様に扱う。「説明しても解らないだろうけど」とか「まあ家のやり方は他と違うから」といった台詞を良く話す。適当にコンピュータの雑誌を読んであたかもその世界を良く知っているこの如き発言をする。
その仕事に関しては何でも知っている様な口を利いているくせに、細かい事を聞くと明晰に答えることが出来ず、「それは勘で決めるんや」と言って、手前の無知を勝手に納得する

人間のやっていることにはさほどの差はなく、世界は論理に従っている。切れば血が出て痛いし、悲しければ泣く、悲しくて笑うこともあるが泣き笑いする当人に取って見れば何の不思議もない。

不思議なことに上司は良くできる場合が多い。そういうときは何とか上司に話しを聞く機会を作らないといけない。そして、上司に聞いて見ると実に明瞭なロジックがそこにあることが解る。こういう馬鹿にとっては理解出来ないのだ。一生解らないままでいることだろう。
特に見積りなどという分野の問題は経験則的な部分が多いことは通常の話しで、別に珍しいことではない。ただし、あくまで「則」なのだ。むやみやたらに予想も出来ないことが起こる訳ではない。必ず規則がある。相手担当の機嫌だとか最近の同業者の動向、雑誌の記事、その他沢山。優れた人間は原因と結果を結び付ける努力をする。そして未来を見ようとする。

まさに野原はそういう馬鹿の典型。おまけにパソコンを何か凄いもののように恐れているので態度が裏返しになる。
神戸の下水道の現場で雨量のモニタリングのシステムを導入している所に偶然飛び込んだとき「ほらほら、斎藤君の好きなコンピュータだよ」「見てきてご覧」とか言われたときには頭のねじが外れそうになった。こういう言い方するかなと思ってしまった。悲しいけどどうしようもない。反吐を吐き掛けられた様な気持ちになった。

ある判断を行う場合に人間は皮膚の内側にある情報を組み合わせて判断を下す。その人間の持っている全ての情報を持つ事が可能ならば、下す結論も同じものになる。正しい道は一つなのだ。但し、ある人間の全ての情報を持つ事は現実には不可能なことだ。
勘というのはあいての情報とこちらのの情報の差を埋めるための推測の論理に他ならない。なぜそう思ったのかということは自分のなかに論理がある。それを言語化出来ない場合は多い。特にその内容が高度な場合は(言語化)論理化することは難しい。この馬鹿はレベルが低くて言語化できなかったが、こいつの上にいたアル中はきちんと言葉で説明できたから、少しはいいだろう。エレベータを待っているときアル中がボタンを押したらどの階にいる箱が降りてくるか毎回違うという事をいっていたことがある。そういう事をいう人間は少しは見込みがある。馬鹿は何も考えない。自動販売機にどういうふうにお金をいれたらどういう反応が来るか考えながら財布から金を取り出す人間と何も考えない人間の間には深い溝がある。

人間と機械(エレベータや自動販売機)の間には何も差がないと考えている。他人に心があることを直接証明するものがないと同じように人間以外の存在に心がないことを証明するものはない。馬鹿には分からないだろうが。大体あれほど人の気持ちを考える能力を欠いた人間に僕と同じ心が有ると想定するほうがおかしいかもしれない。まだ自動販売機のほうが親しみが持てる。野原にこんな事をいわれたことがあった「心理学の勉強をして、他の人間が何を考えているのか分かるよになったらどや」。いわんとしていることは分かるのだけど、てめえ見ていな馬鹿のご機嫌とるつもりはねえよといいたくなったが、ぐーとこらえた。その時の表情がまた気に入らなかった見たいだな。少なくともフロイトやユングのレベルならお前より知ってるよ。ロゴロジーなどという言葉を知ってるか、ソシュールやチョムスキーなどと聞いても何のことか分からんだろうな。馬鹿が。心理学の勉強して人間関係がうまくいくならなにも苦労しないよ。世の中には越えられない一線がある。それが分からない奴に何言っても無駄だろうな。

手前が気に入らないから寄ってたかって村八分にして、だんだん僕の方に皆の気持ちが移ってきたらごねて首にさせるとは最低の奴。人間の屑。


通常判断を下す場合はある出来事(イベント)の蓄積に対して何らかの判断を下すことになる。たとえば、前回、相手担当者にあったときに交した会話の内容とか以前に出した見積りに対しての相手のリアクションとか様々な情報の複合的な関連付けから判断を下す。
そういった情報を個人の頭蓋骨の内側に囲い込むことは愚かなことだ。そんな所から生きたデータベースは作られなければならない。てな話しをあの馬鹿にしたけど当然理解されることはない。「そんなにパソコンが好きなら、パソコンが素晴しいっていう事を言う仕事に付いたらどや」「まずは下水道の勉強をすることや。パソコンの勉強は止めや」この馬鹿にはなにも分からない様だ、ここでパソコンの勉強などしていない。今までやってきたことをこれからの仕事に応用して皆の役に立つようにする事を考えていたのに全く理解しようとしない。まあ馬鹿には何をいっても無駄だという法則をここでも確認したことになる。がりごり我が道をいくほかはない。
コンピュータは世界を荒廃させる
なまじ自分達の会社がコンピュータに関して進んでいると思い込んでいるから手におえない。
多くの会社でコンピュータが導入され、ただの箱とモニタとして家具化している。
ここも然り、機械は冷たくて鋭角的で断片的なもの、それを人の友人として働かせることが必要なのにそんなことは誰も教えないし知らない。
5年間死ぬ気でMACをいじり、苦しんできた経験を「たかがパソコンいっじっただけや」の一言で済ませられる訳には行かない。

コンピュータの管理担当のOLがいたのだがやたら態度が悪い。言葉使いは最低。社員が入力を間違えると鬼の首でもとったように言う。「ちゃんと教えたやないですか。すぐ入れ直してください。」二十そこそこの小娘が倍も生きているような親父を大声で怒鳴るのだから笑い事ではない。
コンピュータの側と人間の側に分かれてしまう不幸がここにある。本当は優しくて気持ちの良い子なのになー。機械に「ビー」とか言われて間違えを知るのならまだしも、小娘にやいのやいの言われる筋合いはないはずなのに何の因果か悲しいもんだ。本来、通常の能力を持った人間が作業をする場合に、入力間違えをいつも起こす場合は、システムに何か理由があるのだからそれを直さなければいけない。ところが、システムを直す道が無い場合は社員どうしの罵倒合戦が始まる。狭い箱に数多くの鼠をいれると噛みつきあう様に傷つけあう。これはストレス溜まるわな。
「何度もいうたやないですか」
「あの人いっつも間違えるんや」
「あほちゃうの」
「あの人のおかげでいつもやり直しや、また一時間もかかるわ」
「いっくらいうてもわからへんのや」
「あの人のおかげでまた残業や」
「毎月毎月同じ間違えやるんやから、しょーもな」
いくら言っても同じ間違えをするということは、よほどそいつの頭が悪いか、教え方が悪いか、システムが悪いか、の内の一つ。大抵の場合少しずつ入って来るんだけどね。良いマニュアルは多くの時間を省くというが、ここの場合使い方の説明は、口頭でモニョモニョ話されるだけだから訳が分からない。
通常の能力を持った人間が同じ間違えを繰り返すという場合は何か問題がある。
どんなシステムにもなにかしらの問題がある。その最悪の形がここにあった。人間が機械の一部と化してしまう病がある。コンピュータを情報の処理のみの機械だと考えている会社に多くみられる病だ。人間がコンピュータの一部と化して、本来だったらコンピュータが入力した人間に間違えを教える様に作るのが通常なのだが(入力エラーチェックと言うが、これが出来ていないと当然結果も正しくない)この会社のシステムを組んだ人間はそんな事はしていない。悲しいことだ。
問題は、そのシステムを補完するように人間が動いていないことにある。機械はあくまで無機質で固くて鋭角的だ。それは変わらない。どんなソフトでもハードでも使われ方が問題。ほとんどのシステムは人を少しだけ幸福にして、残り全部を不幸にする。

マシンと社員の間に立つ人間は二つに分裂する。システム部の人間は空調の効いた部屋でマシンに向かい、現場のオペレータは社員とマシンの間に立ち板ばさみになる。困ったことが起きると、社員はオペレータに文句をいう、オペレータはシステム部の人間に苦情をいう。システム部の人間は何か忙しい用事を作り、それが終わったら検討すると言う。オペレータは社員にいつものことだがと前置きをして、このまましばらくは動かないと伝える。
機械のいっていることをただ繰り返して誤って入力した人間を罵倒するオペレータ。それとは逆に正しく数字が出ないと社員に罵倒される立場になるオペレータ。いずれも悲しいものだ。完全に動くシステムなどというものなどはないのだから世の中の全ての会社はかわいそうな人間で一杯になる。どの人間にも責任はないのにね。日常の不満や私生活の不平を当たり散らす。

どんなシステムでも導入する時点では問題を起こす。そして、どんな問題も必ず解決する。解決しない問題はない。最も過激な解決はお蔵入りすること。パソコンのシステムで数百万、オフコンで数千万という金額を使い、何も無かったことにするのだから困ったものだ。純利益の中から出る金なのだから実に痛々しい。ソフトハウスにとって見れば最高の結論。サポートの必要もメンテナンスもバグのクレームも来ない。まあ、ソフト開発費はリースに掛けられるから六十で割ってみれば月月の金額は大したことないしな、て考えよう。

システムの導入時期には様々な人間の営みが見られる。今までの仕事の流れに変化が生まれるのだから、人の間にはショックが生まれる。強く拒否を示すものから媚びへつらうものまで、千差万別。そして人が義手、義足に慣れるようにシステムは日常の一部となっていく。
導入の責任者の力が強い場合と弱い場合でシステムに対しての対応の形は変わる。強い場合は、あたかも見えない支配者がいる様に日常の会話の中では触れられない。使いずらいことや、役に立たないことはタブーとなる。言う事が即責任者への批判になるからだ。そして言っても仕方がないことだから。

そして、コンピュータは会社を映す鏡になる。会社の中での人間関係がそのまま導入・運用に反映される。システムの問題と良くいうが全て人の問題なのだと言う事を忘れてはならない。人に優しくないシステムを持っている会社は、コンピュータがなくても人に優しくない。コンピュータはあくまで人が作り、人が運用していく物なのだからシステムを見ればどんな会社かは一目で分かる。

この会社はかなり早い時期にコンピュータ関係の投資を始めているのでとにかく金はかけている。けど全くの素人が何をやってもソフトハウスに食い物にされるだけ。かわいそうだったのはその会社でコンピュータの部門を担当している重役。皆に無視されて大昔のオフコンを眺めている。市役所に下水道システムの提案をするが話しにならない。下水道に付いては長いキャリアがあっただろうが、コンピュータについては所詮アマチュアだった。ここが難しい。コンピュータの世界は片手間に出来るものではない。昔、この会社のコンピュータセクションの社員が他の会社に引き抜かれたそうだ。結局彼等は何の役にも立たず、今はその会社で営業やってるそうだ。ここの連中は外では通用しない。業界第一の取組をしている会社のコンピュータセクションの人間を引き抜けば一気に自分の会社のレベルが上がると思ったのだろうな。引き抜いた会社は間違えている。ソフトハウスに接触するべきだった。奴らには仁義なんて無いから金さえ貰えれば何でもやるからね。

大きな開発を行うとき、ソフトハウスはこう耳打ちする「ここで一千万円投資してソフトを開発して、パッケージ化しましょう。そしてそれを御社と同じ業界に販売するのです。百万円で十社に売れば元がとれます。私達がサポートしますから安心して下さい。無論、私達もビジネスですからある程度のフィーは頂きますよ。」VARと言う名で知られたハード・ソフトの販売方法なのだがうまくいっている会社を見た事がない。やらせたことは何度かあるけど、実際に販売しようという話し迄行くことはまれ。それに何だかんだ言って金とるからお客さんも最初の勢いが無くなる。それに大抵、時代が追い越していくからね。
もう一つ重要な事は担当者とその会社のトップを褒めちぎる事。「あなたの会社のコンピュータ化への取組は目を見張るものがあります。同じような業種の噂を聞きますが御社ほどの取組を行っているところはありません」などというと良い。社長がその気になればしめたもの。いくらでも金が出てくる。おまけに会社の方にプロはいないから何とでもなる。電算室があればなお結構、そこのアマチュアが緩衝材になってくれるから、バグや問題点をそいつらのせいに出来る。
自分の会社の電算室の人間をどうしてプロだと思うのか不思議だ。自分達より良く知っているからプロだと思うのだろうか。世の中の社長さん達に言いたい事は「自社内の人間がいくら頑張っても絶対ソフトハウスの人間にはかないませんからご安心を」ということ。SEと呼ばれている連中は人を騙す達人なのだからそれを忘れてはいけない。

この会社も素人の集まり。P社のコンピュータというまるで時代遅れのマシン(ご免なさいP社さん許してください、どんなに良いマシンでも時代に追い付くことは出来ないという見本です。ミニコンの結構凄い時代を築いたマシンなのですが)を大事に抱えて、売ろうとするのだから驚きだ。僕がいた頃は一生懸命「今度、S社のマシン(この当時一番優れていることになっていたマシン)がはいるから安心だ」といっていたけど全く救いようがない。お前の会社の問題は人の優しさを持っていない事が問題なんだと言う事が分からないのかなー。ハードなんて三年でもう使い物にならなくなる。そんな移り変わりの激しい時代に皆口を揃えて「今度はSだから大丈夫」などといっても良い訳がない。システムが売れないのをハードのせいにしている愚かさに気付いていない。コンピュータシステムは会社を映す鏡。鏡はいつも古くなり、また新しくなる。そんな鏡を大事に磨いて何になるというのだろうか。映す自身の姿を磨かなければならない。そして最低の会社には最低のシステムがある。話しにもならない。「この会社の方針なのだからプライムコンピュータを売るんだ」とか言って一生懸命だったようだ。社員の誰もいいものだと思わずに売ることのノルマを課せられてもう可愛そう。中味はCADやデータベース、MACなら笑ってすませるような内容を必死こいてやってる。

作った人間の苦労は僕が一番分かる、少なくとも「会社の方針だから売るのだ」といって裏で悪口をいっている屑達よりも分かる。自分が掴まっているハードウエアとソフトウエアを信じて、お客様に満足して貰おうと夜も寝ない。きっとそんな連中が苦労したんだろう。けど、駄目なものは駄目。

この会社の営業には気のいいでぶもいた。そいつと話しをしていて何となく分かった。一度大阪でこの会社のシステムが売れたそうだ。無論、不幸な結末に終り、今もその結末は続いている。当然であるインターフェースも悪く、値段も高く、お話しにならないシステムを売ってしまったのだから悲しいものだ。客の方は、営業の口車に乗って使い道もない商品を売られたと怒り、文句をいう。そういう客の担当になるのはソフトハウスを辞めていく人間の理由のNO1になっているはず。プロのソフトハウスでも悪夢としてよく見る現実が起こったのだ。このデブが担当したそうだ。当然システム部は逃げる後に残されたのはどうしていいのか分からない営業が一人。それ以来、営業とシステム部は犬猿の仲になっている。そりゃそうだ、売ってもトラブル続きの商品を作り、一生懸命稼いだ金を投資して、毎日てめえらモニターの前にすわっているだけ何だから、ということになる。けど社長が怖いからだれも何もいわない。良くあるパターンだ。社長は適当に調子をあわせる取り巻きに囲まれて最先端にいるつもりなのだから世話はない。けど、この会社を食い物にしているソフトハウスはうまくやっている。営業リスクなしに好きなことやれるんだから最高だろうな。

普通の会社でも営業とシステム部は相反する立場にあることが多い。システム開発の打ち合わせで、システム部の人間と営業の人間が緊迫感高い会話を交すこともある。会社の中が分裂していて何が出来るのだろうか。ワンマン会社に有りがち。そして不幸な結果をうむ。創業社長の会社で指揮系統がストレートに下まで繋がっている会社のシステム開発の失敗率は高いかもしれない。いつも詳しく統計をとりたいと思いながら無理だろうなと思う。
これも全てコミュニケーションの不幸。

そして、皆さんの御不幸。
世界を理解する二つの秘訣
会社の仕事は建設コンサルタント、仕事の中味は役所から下水道関係の設計を引き受ける。営業で入ったから、とにかく下水道の事を勉強した。多分三か月で自律神経失調症や狸より下水道の事分かった。何せアル中も自律神経失調症は何も下水道の事知っていないて言ってたからね。その通りあの狸と自律神経失調症と二人は丸で分かっていなかった。
物を覚えるためには二つの秘訣がある。一つ目は「本読んで分かることは人に聞かない」もう一つは「聞いたことに答えられない人には二度と聞かない」。つまり誰も頼りにしないということ。これを忘れなければきっと人生の達人になれる。
僕は忘れなかった。基本的な単語の定義を聞いても失調症も狸も答えられなかった。ところがアル中はきちんと答えたから驚いた。とにかく勉強をした土曜も日曜も毎日本を読み、他の部署の連中に話しを聞いて楽しくやった。またそれが自律神経失調症の気に触ったらしい。顧客管理一つまともにできていない会社がこの業界でのトップクラスなんだそうから信じられない。これほど遅れた業界とは知らなかった。CAD(製図)何かでもMACのレベルの高さからみたら話しにならない。あーあ御不幸。

下水道の勉強をしているとき、大昔のことを思い出していた。始めてパソコンを覚え始めた頃の事を。

一度倒産することになる不動産会社の出版部門にいたときのことだった。大学にいる頃からの夢、やがて現実のなかでそんな物を忘れていった頃の話し。不動産情報誌の編集をやっていた。違う自分に成りたかった。
パソコンの使い方を情報部の人間に聞くが面倒がって教えてくれない。パソコンの電源のいれ方と落とし方だけを教えてもらい後は独学。朝八時三十分の朝礼から、夜七時の自主退社時間までの勤務時間にパソコンをいじっていると怒られた。「なあに遊んでるんだよ。おめえは仕事しろよ。」てなかんじ。仕事時間以外に触る。
モニターの中と意思をつうじさせるのに三か月かかった。朝は七時に会社にいき、夜は十一時まで会社でパソコンをいじる。土日もなく、毎日寝る間もない。
十六ビットパソコンの全盛期、IBMのマシンが全ての始まりだった。簡単なソフトの使い方を覚えるのに三か月。使いにくさと格闘しながら、ここでこれを覚える事が何かにつながると確信していた。今の自分でない誰かに成りたかった。成れたのだろうか。
教えてくれなかった彼女が僕に使い方を聞きに来たときの嬉しさは今も忘れない。

パソコンの使い方を知って、その後オフコンを独学する。あんまりオフコンを独学する奴もいないとSEの先生に言われた。僕のSEの先生は面白い人だった。酒場でビール瓶投げたり、毎日中野近辺を徘徊する夜の怪獣だった。二回りも年が離れているのに色々教えてくれた。知的な野蛮人、仕事は楽しくガリガリやる。寝る間もなく新しい技術を手にいれる。二十年のキャリアは色々な話しを教えてくれる。コンピュータの世界の事を。彼は今何をしているだろうか。もう二度と逢うこともないだろうか。

使い方を覚えることは重要だが、もっと大事なことはどうやって使い方を覚える方法をまなぶかということを知った。人に教えて貰うことはたやすいが自分で学事が大事。いずれ、教えてくれた人間も知らない事が起きる。その時助けてくれるのは自分だけ。
優れたコンピュータ使いの条件はマニュアルを読むことが出来るかどうかにある。もう一つは必ずもっといい方法があると考え続けられる持久力を持つこと。今の状態を変えたいと言う欲望が大事なこと。向上心という宝物を持つかどうかが大事なこと。

そしてMACと出会った。そしてもう一度変わることになる。

さあ、コンピュータに自分を映す方法を教えてあげる。あなたの頭脳の延長であるところのマニュアルを手にとってくれ。そして百回読むこと。それでも分からなかったらもう百回読んでみること。必要な事はここにすべてある。これがあらゆる仕事に通用することは大阪で知ることになった。
下水道は世界を救うだろうか
僕らの生活に下水道は切り離せない。
営業の仕事は、毎日市役所に行き下水道課(下水道の事業の業務主体)に行き名刺を机の上に置いてくること。毎日関西一円の市役所を回った。入り口で一礼をして室内にはいる。役職の上のほうから順に机の上に名刺を置いて回る。うやうやしく頭を下げてそーと置く。午後位に行くと机の上には名刺の山が出来ている。設計コンサルばかりでなく、ゼネコンやら、コンピュータ屋と色々とある。公共団体の買い物はみんな入札で買うから、もう大変。役所の入札は毎日毎日山程行われる。名刺を置く場所は下水道関連の窓口と入札関連の窓口に置いてくることになっている。山程の購入と山程の談合がここでは毎日行われている。
名刺を置いているうちに顔を覚えて貰い、相談に乗り、入札の話しが起こる前に見積り出したりする様になったらしめた物ということになっている。どんな仕事も客と仲良くすることが大事でんねん。
名刺の数で入札は指名される訳ではないが、行かなきゃ忘れられる。しっかし、役所は態度がでかいもんだ。てめえの金を使う訳でもないのに困ったものだ。二三年で大体部署が変わるから困ったものだ。役所はいいね。小さい頃から大きくなったら公務員に成りなさいと繰り返し言われたことを実感する。そして、つまらなそう。

入札の通知は、電話か郵便で来る。時間と場所の指定があるからその時間に間に合うように現場にいく。仕事の内容を見にいく仕事は閲覧と言う。閲覧は市役所で行われる。仕事の内容は何か、計画の変更か、管渠の設計か、ポンプ場を新たに作るのか、処理場の二期工事か、資料は持ち帰りの場合と書き映す場合がある。
大事な事は入札のメンバーを調べること。閲覧の時点でどこの会社が一緒に入札するかは分かる。入札の業者は一回につき十社前後になる場合が多い。お呼びがかかって行かないと次回からは呼ばれなくなるから、必ず行くことになっている。
メンバーが分かった時点で何処の会社が落札するかは決まっている。これを談合と言うか美しき慣習と言うかは立場の違いに起因する。大体、閲覧から入札までは二三日から一週間しか時間の間はない。たかだかそれ位の日数で見積りを作る方が無理というものだ。
見積りに金がでないのはどこの世界でも一緒なのだが、これも問題。無論、どこが取ってもいい仕事もある。そんな時はオープンで戦う。これもまた困ったものだ。ソフトと同じで人件費が仕入れのほとんどを占める業種だから価格は有って無きものと言える。

入札当日は、雨が降ろうと、電車が止まろうと、開始一時間前に入札現場に到着しなければならない。入札現場は市役所である場合が多いが下水道事務所だったり、流域事務所だったり、県庁だったりする。そして何処に行っても入札業者が集まる場所がある。市役所の場合は待合コーナーがあるからそこだったり、入札場所の近所の喫茶店の様な集まれる場所だったりする。とにかく、全ての入札現場には談合場所があるのだ。
待ってるとその日の入札のメンバーが集まってくる。「どうも、今日はありがとうございます」と声をかけられる。今日はありがとうとは変な挨拶だなと思いながら「どういたしまして、こちらこそよろしくお願いします」と答える。良く考えてみれば今日来ても仕事は取れない(取らない)ことは分かっているのだから無駄足のお礼という訳なのだなと納得する。まあ、いつか無駄足をして貰うこともあるから、その時はよろしくお願いする事になる。
そーと紙にかいた数字を見せてくれる。通常三つの数字が書かれている。最初数字でうまく行けばよし、金額が市役所側の金額と合ってなければ次の数字で入札を行う。当然ながらその数字よりわずかに高い金額を書くことになる。間違えて安い金額を書いたときは大変な事になる。もう一つの可能性は本命(チャンピオンから取って、チャンと言う/「何回入札してもチャンは一緒や」というように使う)

最近の景気の話しや仕事の話しを交す。営業同志の話しは楽しい。微妙に情報を流しながら大事な事は話さない。

役所の算出する金額は、毎年建設省が出している積算工数表(どの作業には、どの位の経験者が、どの位の時間かかるかが書かれている)を使って算出する。パソコンでも幾つかソフトが出ているが余り使われてはいない。MACで作れば結構面白いのが出来るんだろうなと思う。非常に単純な原則で基本的な数字は出る。当然、そこから変わるんだけどね。
不思議なことに建設コンサルタントも同じ資料を持っている。まあそうでもなけりゃたった二三日で積算出来る訳無いよね。このデータにその年の(毎年単価は変わる)五段階の単価を各々の工数に掛けて、必要金額が算出される。ただし、計画関連や処理場関連は、最初に仕事を請け負った会社が優先的に担当する事になっている。

時間になると入札室に担当者が来る。通常三人、購入担当の部門(監査室とか呼ばれる)から二人、該当部門(ここでは下水道課)から一人来る。
小さな自治体だと市長が直接現われることもある。一度、待合室で他の会社の営業の入札書を見ていて驚いた事が有る。僕も最初の頃で、入札する金額を書いて他の会社の営業の人に「先輩、これでようございましょうか」とか言って数字を書き込んだ入札書を確認して貰った時(結構これが他の会社の営業の人達とは気があってたんだな)他の会社の男の持っていた入札書が見えて、そこに書かれていた市長の名前が僕のと違っていた。てっきり僕のが違っているかと思ったらそうではなかった。その場にいた七人程の営業が色々と親切にしてあげる。なにせ、芝居と同じ、一人が間違えても困る。その場は他の会社の営業が持っていた余分な入札用紙(市役所の側で用意してあるもの)を使って事無きを得た。その時何と市長が同席したんだな。危ないところでありました。気が付かないで前の市長の名前で入札してたら大事、出入り禁止になってしまうところだよね。

部屋が開けられ、皆部屋にはいる。押し黙ったまま思い思いの席に付く。入札の開始が宣言され、出欠がとられる。机の向こうに三人前後の係員が並んでいる。会社の判子が入った委託状を提出する。委託状には自分の判子をついておく。入札書に金額を書き込む。前や横から指で机を軽く叩く音がする。皆ゼロの数を数えている。一つ少なけりゃぶっちぎりで落としちまうからね。数字は読みやすく、読み間違えない様に書くこと。紛らわしいときは失格になる。

時に調和を乱す者もいる。入札前の待合室で誰にも語らず、チャンの差し出した金額を無視して、世界の調和を乱すことになる。世界を相手に戦う男の孤独はいかほどのものか分からぬまでも心中お察し申し上げます。世の中ガッツだ。

入札の金額をかきこんだら、封筒に入れ、封筒の裏三か所に判子を押し中央の箱の中に入れる。全員が入れたら開票する。金額と社名を紙に書き込み比較する。
一回目で決まらなかったら二回目の入札となる。これが怖い、まさか回りの人に見て貰う訳にいかず聞いていた二回目の金額に少し足して書き込む。三回見直して封筒にいれる。また封筒から出して確認する。これはストレス溜まるはね。

そして一番適切な価格を書いた会社が受注する。

金額を書き間違えて受注したときはもう大変。その金額を丸ごと相手に渡して仕事は全部こちらでやるという事になっている、逆にチャンが間違えて高い金額を書いて(こちらに落度がなく)取ってしまったときは超ラッキーな事に金は貰って仕事はあちらが全部やるという話しになっている。だから皆必死、金額間違えたら大変なんだな。大体間違えるのはベテランが多い。慣れてくると勘違いして数字を間違えるそうな。しかり、慣れこそが人生の大敵。

受注会社が決まったら金額と社名が読み上げられる。読み上げられたら立ち上がって「ありがとうございました」と挨拶をする。これにて一幕おわり。

そそくさと部屋を出たら、市役所の中に名刺を配りにいく。

談合の問題が起こる度に色々な点が指摘される。皆正しい事を言っている。買う側がいくらなら買うと言うことを、売る側が知ってる場合はぎりぎりの金額で出てきて当然。競合相手が分かっていたら事前に根回しして当然。外国の方々が怒って当然。競争が無いから価格が高値安定になる事も当然。当然だらけで笑う気にもならない。

そして、談合の起源と進化は闇の中。これ程のシステムがいかなる過程で作り上げられたかは謎。

晴れた春の日の午後、入札を終わり大阪の町を駅に向かう解放感は忘れられない。町並を眺めながらぼんやりと考え事をする。うまそうなタコ焼屋、漬物屋、立ち食いそば屋、変わった焼物屋さん、ちょいとつまんだ稲荷のうまさ、大阪の町は美しかった。お寺や神社の造りの素晴しさは忘れられない。MACの小さな販売店のおにいちゃんと話しをしたり外回りは楽しいものだ。
到底回り切れないような市役所を回るように言われたときも、電車に間に合うように駅から走った。何日も入札が続いたときも楽しかった。初めての駅に降りて道を聞くのが楽しかった。

下水道は世界を救うのだろうか。その答えは何処にあるのだろうか

そして
そして僕は大阪を去る。
大阪は僕の第二の故郷。
いつかこの土地にまた住むことが出来たら僕は幸せ。 --------------------------------------------------------------