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正 し い 食 事 【スラムダンク考】
注.ネタバレ有りなので、全巻読み切っていない人は読まない事。
【主旨】事の起りは簡単な話、2002年秋、スラムダンクと言う漫画(全31巻)を借りて読んだら、もう止らなくなってしまった。
なぜこんなに面白い物語を今まで読んで来なかったのかと思うと残念でたまらなかった。
そして読み返す内に何とかこの思いを表現したくなった。
そしてこのページを作る事にした。
この物語は語る。
人生で何かを達成しようとしたならば
『何がおきようとも揺らぐ事のないー断固たる決意が必要なのです。』
『あきらめたら、そこで試合終了ですよ。』
そして、全ての試合に勝てる訳では無い。
contents
【スラムダンク_作品の流れと分析】 2002/9/26
【僕は誰に必要とされているのだろう】2002/10/2
【だからパスをくれ】リアル1より 2002/10/9
【ドロップアウト/雑感】 2002/10/15-16
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【ドロップアウト/雑感】 2002/10/15-16
リアルを見ていると実に様々な事を考えさせられる。
リアルで野宮と戸川がバスケットボール部と2on2で試合する所が描かれる。
高橋キャプテンがファウルをしてもそのまま試合を続けさせる審判(当然バスケット部の部員がやっている)や、彼の言う通りに従うバスケ部の部員、みんなで自分達と違う人間をイビルやり方。
どれをとっても日本型の会社社会を考えさせられる。
子供の社会は大人の社会の鏡だと言うがまさにその通りで有る。
不良と言われる人間(一般的な意味でドロップアウトした人間)が正しく輝いて見えるのが不思議だ。
スラムダンクが幸福なファンタジーだとしたら、リアルは痛烈な現在の社会への批判だ!!
そして僕らにはその両方が必要なのだ。
真面目に努力しようとする人間の足を引っ張る社会。僕も何度もそんなめにあって来た。そんな社会へたいしての痛烈な批判で有る。
そして作者の視線の面白い所は、決して他人事として描く事は無く自分達のその一人であり、その殻を撃ち破る為には不断の努力が必要だと語りかけているのだ。
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スラムダンクは確かに終わらなくてはならない運命だったかも知れない。
桜木とルカワはいずれも日本を代表する選手になるだろうし世界で活躍をする事だろう。
しかし、そのような姿を見てもただ楽しいだけである。
次から次に強敵が現れてそれを倒して行くパターンの繰返しはあまり見ていて面白い物では無い。
『強い奴インフレ』が起こり、次ら次へと必殺技が開発されて物語はとめど無く続く事になる。
最後には呆れ果てられてしまうのである。「アストロ球団状態」になってしまうのだ。
リーグ戦ではバスケットチームの99.99%は、敗北するのだ。
そして、スラムダンクは幸せな高校生の物語で有る。
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今日も単行本の7-8-9巻を読んでいて感じた事が有る。
丁度リョウタ君と三井さんがバスケットボール部に戻って来る辺のお話で有る。
多分、作者は、桜木・ルカワ・赤木の3人で十分にお話を作っていけると思っていたに違い無い。
しかしながら、彼等ではバスケを禁じられた人間を表現する事が出来ない。
僕は、この作者の作る物語の特徴としてバスケを禁じられた人間とそうで無い人間の対比が有ると思う。
この件に関しては後日また書き出したいと思う。
ここで、三井と言う非常に面白いキャラクタが生まれた。
三井は安西先生を強く敬愛しながらも、いったんはドロップアウトして再度チームに参加するのだ。
しかし、メンバーに強烈な個性をもった人間を配置する事で話はバスケの試合中心の展開となっていく。
10巻以降と以前では雰囲気も話の比重も違うのが分かる。
リアルとこの巻の辺の感じは非常に近い物が有る。
スラムダンクの登場人物は皆真剣で単純で有る。
リアルは高校生が皆『腐った大人』で有る。野宮や戸川が自分の人生に何かを見つける為に生きようとする。
そんな彼等の姿を見て、『腐った大人』は『そんながんばったってどうなる訳でも無いデショ君達』と冷笑する。
そんな冷笑をはね除ける為に仮面をかぶらなければいけない。
野宮の様に不良となるか、戸川の様に自分の殻を被るかである。
そしてもう一つ二つの物語の大きな差は『安西先生』で有る。
スラムダンクには有り、リアルには無いもの、それは、バスケットに真剣に一生をかけて来た「大人」の存在で有る。自分の人生に誇りをもち、生きる人間。そんな姿がそばに有る時にはじめて子供は『生きている大人』になれる。
リアルにも確かに『北原先生』という人が出て来る。野宮がバスケを辞める経緯は描かれていないが、バスケ部の中で彼が浮いていた存在であった事は何度も描かれる。
北原先生は、同僚の「野宮を担任したのは大変だったね、退学も身から出たサビだ」という言葉に『バスケを続けていたら違っていたかも知れない』と呟く。
その通りである。しかし、自分自身のバスケを見つける事、そして自分自身のバスケを続ける事、それが出来無い所に今の社会の悲しい所が有るのだ。
そして、いつか必ず試合に負ける日が来る。そして、もう一つのバスケを探しはじめるのだ。最後まで続けた事を思い出にしながら。
ちなみに、宮本武蔵は最後まで試合に負けなかった特例である。佐々木小次郎を殺してから彼は試合をしなくなった。(と思う)。
坂口安吾は彼の試合を捨てた以降の人生をつまらないと言った(と思う)。
バスケを止めて、軟派して知り合ったばかりの女の子が夏美、そして彼女の事は何も知らないまま、バイク事故を起こして知り合ったばかりの女の子を半身不髄にしてしまうのだ。そして彼自身も逃れられない負い目を負う事になる。
野宮がバスケを続けていたら、夏美ともっと違う形で出会っていたら、それは幸せな物語が生まれていたかも知れない。
柾君が『エア』と呼ばれだれからもパスを貰えなくなって切れてしまう経緯も描かれ納得する事が出来る。
リアルに描かれる試合の場面では監督も審判も描かれはしない。絵としては存在するが、ラインや背景以上の物には描かれていない。
この点も大きな違いである。
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【様々な疑問】
安西先生は高校の先生なのだろうか?バスケだけの非常勤なんだろうか?先生ならば担任は何だろう。
ルカワの少年時代はどのような物だったのだろうか。
桜木の家族構成は?
【だからパスをくれ】リアル1より 2002/10/9.
『リアル』と言う漫画がある。スラムダンクがより深く見えて来る。
僕は、筆者がスラムダンクではかけなかった事をこの物語の中で書いている様な気がする。
つまり、続編に成るのかなあ。
しかしながら、続編だなどとおもって読むと、おかしな事に成るので、独立した物語として読む必要は有る。
登場人物は皆事故で下半身に障碍が有り、日常生活をするのに車椅子が必要な人である。
しかしながら、この物語は、決して『障碍者バスケ』と言う物を描こうとしている物語では無い。
僕らの社会がどんな物に成ってしまっているか(成り下がっているか)を浮き彫りにする物語なのである。
そして、人間が自分の殻を破ろうとして勇気を振るう物語でも有る。
この物語の中では『真剣に人生に勝負しようとしている人間』とそんな人間を厭う連中の姿が描かれる。
主人公は基本的には二人
野宮:バイク事故で後ろに乗っていた女の子(夏美)を半身不髄になってしまう事故に会い、高校を中退。高校ではバスケ部にいたが、彼の勝ちにこだわる姿勢のため、他の部員に嫌われる。
戸川:骨の病気で片足を切断して、車椅子バスケは強い。車椅子バスケのチームにいたが、負けてもヘラヘラする様なチームメイトがいやでチームを辞める。
この二人が出会いから物語が始まる。
野宮は夏美の笑顔を見たくて毎日車椅子を押す。そして、体育館で戸川と出会い野宮は彼に声をかける。
『だからパスをくれよ。』と
人生は人と人とがパスを受け渡して初めて始まる。
俺の生き方はこうだと見せて、お前の生き方を見せてくれとパスを渡す。
人生と言うコートでパスを回して貰えなくなった人間達がどうやってまたパスをもらうのか?
そして僕は、誰にパスを渡せばいいのだろうか?
懸命にバスケをする戸川を見て、夏美は長野に去る。野宮には何も告げず消えてしまう。
野宮にとって、夏美に償いをすることが人生の救いなのだ。しかし、彼女は野宮にパスを返す事無く消えてしまう。
野宮がいた高校のバスケ部では真剣にバスケをしようとする人間は「野宮派」と呼ばれ疎外される。
結局、野宮の理解者だった「柾」という男も疎外されバスケ部の生徒に暴力を振るい謹慎となる。
柾君の家に野宮は行って彼母親の問いかけに答えるので有る。
俺は学校から外れた人間だから分からないけど......あいつはほとんど喋らねえし/気の利いたギャグも言えねえ/TVのネタ振ってものってこない。/みんなとワザワザつるんだりしねえし......./服の流行にも無とんちゃくつーか....../
........でもあいつらしいのは/それで平気なとこ/学校ん中はそう言うのをきにせずにはいられねえ奴ばっかだから/人と違わないように/主流からハズレねえように/柾みたいなのがいると自分らがひどい小心者に見えちまうから/目障りだったっんじゃ無いんすか.....
柾君の父親はその言葉を聞いて彼に酒をすすめる。ふすまの向こうで柾君はひと粒涙を流す。
僕はこの部分が大好きで有る。涙が出て来る。
柾君はスラムダンクで言えば赤木キャプテン、野宮は桜木、戸川はルカワにあたるのだろうか。
野宮は夏美の笑顔とまた出会えるのであろうか?
そして物語は、このバスケ部の親玉(野宮派を疎外している張本人役)高橋君が事故にあい半身不髄になる。
2巻が出たので買おうと思うが、まだ買っていない。
【僕は誰に必要とされているのだろう】2002/10/2.
この物語を読んでいると、ある事に気が付いて来る。
『自分が必要とされる事』これがいかに重要な事なのかと言うモチーフが繰返し現れて来るのだ。
例えば第一期の中で不良グループが出て来るが、彼等不良と呼ばれる人間の集団は、社会一般から必要無い存在だとみなされている。
そして、そのグループの中では互いに必要な人間だと感じあっている。
グループから三井が抜けようとする時(バスケがしたい事を告白する時)に周りに佇むかつてのチームメイト、今の不良仲間の心に去来する物は何だろうか。
単に、高校生が殴り合うという場面を超えて、胸に来るシーンで有る。
中学ではMVPを取り高校でも活躍を期待されている青年が膝の怪我で自分の居所を失う。
そして、またバスケに戻り居場所を探し出すのだ。
安西先生が実に良い味で彼を許すので有る。
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インターハイの山王戦のなかで赤木は桜木をこの『チームに無くてはならない人間になった』と心の中で呟く。
不思議な物で有る。
何度か出て来るバスケットマンと言う表現はこの辺を意味しているのだろう。
桜木君はバスケに出会わなかったらきっとタダの不良で終わったのだろうなあ。無論『不良』が悪いといっているのでは無い。
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僕らは人生の中で幾つもの河を超える、会社が潰れる事も有れば、最愛の人を失う事も有る。
自分が誰に必要とされているか分からなくなる事も多い。
そんな時、人生を投げてはいけない。
僕が新潟に帰ってきて、何も上手く行かなくて、鉄工所の工員として人生を生きる事を決める他無くなった時、世界に絶望した事を思い出す。
10年以上の東京での歳月が全く否定された様な気がする。
お前の代わりなど幾らでもいるのだと感じさせられる職場、今まで付き合ってきた友人と離れて連絡もしなくなった時の孤独感。
苦しくても、自分でその壁は突き抜けなければいけない。
辛かった事を思い出す。
バスケットというスポーツは5人で一つのチームを作り、相手と闘う物である。
5人は皆必要であると感じあって一つの目標に向かっていく。
自分が必要とされている事が実感出来るスポーツなのだろうなあ。
自分自身を磨き、チーム中での位置を掴む。
人を認め、自分も認められる事で先に進んで行くのだ
【作品の流れと分析】2002/9/26.
スラムダンクと言う漫画は6年間連載が続けられた漫画である。
当然の事ながら、連載期間内に作家自身も、絵の質自身も変わっている。
これは悪い事では無い。作家自身の表現力が変化している事の現れであるのだし、初期の作風に比べて、後期の作風は明らかに幅が有る。(無論初期の作風にはそれでしか表現の出来ない物も含まれている。)
H2から連載は始まっている。
大雑把にこのシリーズの区分と分析を行ないたいと思う。
第一期
1巻〜2巻バスケット部に入る
3巻後半〜6巻前半 綾南高校と練習試合
6巻後半〜8巻 宮城・三井登場のシークエンス
第一期の特徴は普通の高校生がバスケットの魅力にとりつかれて行く物語としてスタートしている所である。
バスケット以外の部分も多く描写されている。
連載の当初のコンセプトは高校生の日常を描く事だった様な感じがする。実際初めの方を読み出した時は『湘南爆走族』に良く似た感じだなと思った。
喧嘩の描写にしても、あまりリアルでは無い。主人公を柔道部の部員が勧誘したり、色々な枝葉が有る。
この時点では、赤木(バスケのキャプテン)と桜木の二人の絡みで物語を進行させようとしている様に見える。
オチャラケの感じで始まったこのシリーズが、しっかりと方向転換するのが6-8巻の宮城・三井登場のシークエンスからである。
『宮城・三井登場のシークエンス』この部分に安西先生の言葉が出て来る。「あきらめたらそこで試合終了だよ。」この言葉はきっとこの物語の主題だと思う。『バスケットは数秒の間に逆転が逆転を呼ぶ物語であり、人生と同じなのだ』そんな言葉が聞こえてくる。
このシークエンスの進め方の中にすでに、過去を回想する技法が盛り込まれている。31巻で4ヶ月しか実際の時間は進んでいないと書かれているが、実は過去の回想やその人なりのプロフィールの紹介でかなりの時間が使われている
三井は三年生で一年の時に足をいためて不良達と付き合い、バスケを捨てる。
宮城はバスケの2年生で、三井と喧嘩をして入院していたが退院する。
他校の不良を連れて三井はバスケ部に喧嘩に来る。
結局喧嘩は桜木軍団の圧倒的な勝ちとなる。そして登場した安西先生の前に三井はバスケがしたいと涙を流す。
喧嘩の最中に三井が中学時代MVPをとる程のバスケットプレイヤーで、高校に入るが、怪我で休んでそのまま不良の仲間になった事が分かる。
三井は中学時代試合を見にきていた安西先生に『あきらめたら、そこで試合終了ですよ。』と声をかけてもらった事が有り、その事が高校に入るきっかけとなっている。
実はもうひとり、バスケ部でありながら喧嘩の為に高校のクラブから閉め出された選手が登場する。
綾南高校の福田である。彼の場合は、1年間監督に怒られ続けたストレスが爆発するのだがやはり、バスケに餓える事になる。
この辺のバスケに対しての餓えと言う様な物は実に上手く描かれている。この作品の後、作者の井上雄彦は『リアル』という作品を発表するが、その中ではまさにバスケに対しての餓えが充満している。
コートの中で彼等はまさに無敵の存在であるが、実はコートの外では無力なのだ。
彼等バスケの才能の持ち主がコートを失った時、その絶望ははかり知れない。バスケのコートは彼等にとってステージであり生きる場なのだ。
現在進行している『バガボンド』という作品で宮本武蔵を描くが、武蔵が勝負に臨む際の描写はまさにこのバスケットの描写と似ている。
僕は坂口安吾の語る宮本武蔵しか知らないが、非常に面白い作品になっていると思う。
武蔵の真剣勝負に対しての餓えと言う様な物が実に上手く描かれている。
彼等にとってはバスケは自分を認めさせる為の舞台なのである。ランボーにとって戦場がそうであったように彼等にとってバスケの試合は人生に無くてはならない物なのである。
第二期
9巻 三浦台との試合
10-11巻 翔陽(しょうよう)との試合
12-15巻前半 海南との試合(決勝リーグ)
15ー17巻 南海VS綾南
17後半- 21巻 綾南との試合
バスケットの試合の描写と練習の描写でほとんどの比率が占められて行く様になる。桜木軍団の活躍も試合の観戦と練習の中に限られて来る。
一期に比べて絵の質が変って来る。どこと言う事は言えないが、第三期と比較すると第一期の絵は明らかに違う。
インターハイ予選が始まるところから、インターハイ出場までを第二期と考えたい。
当初はもっと明確に絵柄の変化を確認出来るかと思ったが、そうではなかった。
実は、この辺を読んでいて、この漫画も『例のパターン(どんどん強い物が出てきて、何故かその強いやつを打ち倒して行くと言う「強いやつインフレパターン」)』にはまって行くのかなあと思ってしまうのだが、実はそんな事は無かった。というよりも、そうなら無い為に31巻の唐突な終わり方をしたのだろう。
第三期
22巻 安西先生の過去、2万本シュート練習
23-24巻 豊玉高校 インターハイ 第一戦
25-31巻 山王高校 インターハイ 第二戦
ここで大きな物語の変化が現れて来る。同時に絵の感じも変って来る。
安西先生の過去の話である。少しびっくりした。資質を持ちながらかつての鬼コーチの元から飛び出したバスケット好きな青年がアメリカで失意の元事故で死んでしまったシークエンスである。
安西先生の内面の葛藤がここで表現される。彼の内面的な成長の物語でも有るのだ。
バスケットの試合の中で監督の独白があるが、監督もこの物語の中では一個の人間として悩み成長をして行く。
豊玉高校との試合の中では、豊玉高校の前監督(北野さん)を慕い、今の豊玉高校の監督を無視する生徒に「俺の半分しか生きていないお前らのその態度はなんだ。お前らが憎くッたまらんのだ」と話し「あんたも北野さんの半分しか生きておらん」と生徒に言われる。
非常に痛々しいが、その通りである。
この山王高校との戦いが長い。ビックリである。しかしここが一番見ごたえが有る。
『何がおきようとも揺らぐ事のないー断固たる決意が必要なです』#25-24p 山王の試合の前夜に安西先生は話す。
試合はほとんど負けそうになりながら追い付いて行くのである。
そして、赤木君に対して安西先生ははなす。ここでまたキーワードが出て来る。
『あきらめたら、そこで試合終了ですよ。』#27-48p 絶対にひっくり返せないと思える点差から向かって行く者には、勇気が必要なのだ。
試合を諦めない勇気、それこそ大事なのだと......
ラストは唐突である。
何故か、桜木くんのは二度とバスケをしないのでは無いのでは無いかと思ってしまった
もう少し考えをまとめて色々と書いて行く事にする
【リンク】
『スラムダンク』著者:井上雄彦さんのページ