INDEX / 高橋一巳->入力間違え「高橋和巳」が正しい名前でした/97.9.25/

高橋一巳->入力間違え「高橋和巳」が正しい名前でした/97.9.25/

あんまり話題にはならない作家だけど、忘れられない作家だ
大学紛争と言うものが何者だったかは知らない
けど19の頃初めてであった「孤立無援の思想」が文学指向の強かった僕に法律を学ばせるきっかけとなったようなきがする

このページに関してメールをもらった。
最近、知らない間にサーチエンジンに登録されたらしくて色々と素敵なメールを頂いているが、このページに関して送られたメールは最悪のものだった。
まさに、読むに耐えない、幼稚で、悲しいメールだった。こういう馬鹿がinetのトラフィックを高めていると思うと悲しいものだ。
そこで、さらしものにすることにした。
高橋和巳が、近年読まれないというのも、こういう馬鹿が居るからだろうな。
生きていても構わないけど、草葉の陰に隠れていなさいといいたい  1997/9/25

時間を潰してもいいという人はここをクリックして馬鹿の標本を見てみよう


孤立無援の思想
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「内に省(かえり)みて恥じるところなければ、百万人といえども我ゆかん」と言う有名な言葉が孟子にあるけども、百万人が前に向かって歩き始めているときにも、なおたった一人の者が顔を覆(おお)って泣くという状態もまた起こりうる。
最大多数の最大幸福を意志する政治は当然そうした脱落者を見捨てていく。----そしてこの時、情勢論を基礎にする政治と非情勢論的作業、例えば文学との差があらわに現われてくる。文学はその流派のなかに、抽象的な観念主義や政治主義を含むけれども、その出発点を個別者の感情においているゆえに、たとえそれが老婆の愚痴や少女の感傷であっても、それが個別的な真実性を持つ以上は、可能的な文学の考察対象になる。文学者は百万人の前の隊列の後尾に、何の理由あってかうずくまって泣く者のためにもあえてたち止まるものなのである。
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旺文社/旺文社文庫/エッセイ集/孤立無援の思想/p16
原本にあるルビは()で括って該当語の後に置いた




1931年8月31日/大阪府浪速区貝柄町11番地で生まれる
1945年/14歳/8月14日/ポツダム宣言受諾
1969年/38歳/1月より京大闘争始まる/全共闘支持の立場に立つ/10月3日京都にて腹痛で倒れる/病名不明のまま療養
1969年/39歳/3月京都大学文学部助教授を辞職/小田実、開高健、柴田翔、真継伸彦と季刊同人雑誌「人間として」を発刊/4月東京女子医大に入院/5月上行結腸癌の手術/12月肝臓転移のため再入院
1969年/5月3日/午後10時51分 永眠




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